代表取締役 小川一夫あいさつ 
紙面で見る半世紀
読者と歩んで50年 暮らしに芽吹く
本紙配布地域 4市長より祝辞

 「週刊和歌山ニュース」の名で産声を上げた1964年12月8日から、読者の皆様に支えられ、ニュース和歌山はこのたび創刊50周年を迎えました。今号では、ニュース和歌山がこれまで歩んだ半世紀を振り返るとともに、紙面を通じて皆様と育んだエピソードなどをご紹介します。

  本紙は創業者の故・小川伊三郎が「郷土紙の理想像」を求め、発行を開始。現在は毎週土曜、第2・4水曜に和歌山市、海南市、岩出市、紀の川市で16万5200部を発行している。
 きらりと輝く人々の姿を追い、政治、経済、福祉、文化と暮らしにまつわるきめ細やかな情報を届ける一方、作品投稿、展覧会やサークル情報、「譲ってください」「探しています」でおなじみの「皆さんコーナー」など、常に読者とともに紙面を作り上げてきた。 また、和歌山の福祉文化発展にも貢献しようと、ニュース和歌山文化厚生事業団を設立。地道に汗を流す個人団体を支援したほか、和歌山音楽コンクールを23回開催し、未来に羽ばたく音楽家を輩出した。

 近年は江戸時代の和歌山をカラー絵図で読み解く『城下町の風景』や、高齢者に関わる情報をまとめた『わかやまシニアガイド』など、地域に根ざした刊行物の製作にも注力している。

「皆様のお役に」理想掲げ 
                      代表取締役 小川一夫

syouga

 ニュース和歌山は12月、50周年の節目を迎えました。創刊時は東京オリンピック開催直後で、戦災復興から一気に高度成長へと突っ走る真っただ中でした。
 そんな時代に発刊した第1号で、「国道42号線整備」「紀勢線電化」などを課題として取り上げ、「住宅難が続く中、公営住宅建設が遅々として進まない」と嘆いています。住民の不満を代弁しているのです。
 一方、現在はどうでしょうか。最近では紀州の和菓子文化を盛り上げる市民団体や、独身男女の縁結びを応援する市民らに焦点をあてました。地域に根ざした人の活動をより広く知っていただき、応援してゆきたいとの思いからです。
 50年前からニュース和歌山が目指す方向は変わっていません。記事も広告も「皆さまのお役に立つ」ことを掲げ、発行を続けております。
 技術が発達し、世界中の人と一瞬で通信できる時代になっても、地域の人の幸せは、温もりのある人と人とのつながりを実感でき、安心して暮らせる社会があってこそ。その一助を担うことができれば、こんなうれしいことはありません。
 ニュース和歌山は次の50年に向け、地域の皆さまと共に歩みを進める所存です。これからもご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

紙面で見る半世紀

 和歌山の半世紀を見つめ、走り続けてきたニュース和歌山。発行は今号で4844号に上ります。創刊した1964年から現在までの紙面を振り返り、変遷をたどります。

1964〜1970年代  主流は政治経済記事

 政治経済の硬派記事が主流ながら、創刊当初から婦人や子どもの座談会を開くなど身近な話題を伝えようと試みた。政治では1966年の宇治田省三和歌山市長誕生、翌年の大橋正雄県政出発を追い、国政選挙から野党県支部の内紛まで内幕に迫った。
sin bun

 65年の連載「和歌山の顔」では石井堅蔵氏、和中金助氏、宮井宗兵衛氏、山本進重郎氏ら戦後から和歌山を支え続けた経済人の横顔を紹介。67〜68年の「世は正にアイデア時代」では島製機製作所、東洋精米機製作所など地元企業の技術力の高さを伝えた。
 単発の記事では、景気、道路開発、コーヒーの値段、タクシー料金、少年非行と話題は多岐にわたる中、長崎屋、大丸、ジャスコ、ダイエーと大型商業施設の進出の噂に紙面をさき、71年1月には地元経済人による座談会を企画。県外資本進出の是非を討論した。環境問題が深刻になった73年9月には本紙主催で生活環境浄化推進会議を開催。県民が環境汚染についてできることを語り合い、記事にした。
 73年には2003年まで続いた記者によるコラム「今週の意見」がスタート。75年10月26日に地域の人の活躍を伝えた「あの人この人時の人」が始まり、企業家、教育者、高校生と市民の生き生きとした表情が紙面に登場した。
 また、不定期掲載だった「皆さんの無料相談コーナー」が、73年1月には現在の「皆さんコーナー」に近い形に。漫画は石ノ森章太郎、富永一朗と第一線の漫画家が担当。お色気路線の内容が許されたのも時代か。

1980年代  教育や社会問題に迫る

  1980年代は、市民生活にゆとりが出てきた一方、心の豊かさを求め始めた風潮を受け、生活文化やそれを担う人の生き様、モラルなど人の内面を重点的に取材した。その一つとして、「社会の鏡」と表現される子どもにスポットを当て、非行や教育問題に関する記事を多数掲載した。

sin bun

 82~85年に175回連載した「子育て日記」は、登校拒否やしつけ、親が子どもと接する際に役立つ情報を児童心理を研究する専門家が執筆した。日本へ留学したアメリカ人による日本の教育現場のレポート、自宅を開放して子どもたちに本を貸し出した子ども文庫訪問記も掲載し、学校、地域、家庭での教育事情を追った。
 和歌山大学の栄谷移転に合わせて学長にインタビューし、和歌山の教育史や総合大学としての展望を載せたほか、学校図書の充実化や学校と家庭の連携など、教育界への提言も行った。
 一方、市民の声を広く紙面に反映させようと、81年に読者投稿による「土曜評論」を開始。ポイ捨てが横行する現状に心を痛め、街の美化を呼びかけたり、自動車普及率の上昇と共に悪化する交通渋滞事情を指摘したりと、市民の生の声を掲載した。
 日高町に原子力発電所建設の計画が上がると、反対する市民団体によるコラムを連載し、本紙信条の一つ「発言の機会にめぐまれない人たちにも紙面を開放」をふまえた記事を展開した。
 なお、いわみせいじさんによる四コマ漫画「和歌山さんちのハッサクくん」が89年3月15日号にスタート。登場人物が増えながら、今号まで1299回続いている。
写真=紀三井寺競馬廃止か?(1987年2月11日号)

1990年代  紙面づくり 読者とともに

 私たちの住む街をより美しく、他府県に誇れるように育てるには何が問題か一緒に考えませんか——。1990年には新たな取り組みとして、景観問題に焦点を当てた紙上キャンペーン「美しいふるさとを求めて」を展開。夏の片男波や磯ノ浦、加太の海岸に散乱したゴミや、深夜に市街地に不法投棄される粗大ゴミ、ポイ捨てなどの現状を伝えマナー向上を問い、読者から広く共感を得た。

 また、読者が通信員として記事を手がける「通信員のページ・街かどから」は92年6月に始まり、定番コーナーに。開始当初は20〜70代の30人がペンをとり、近所に住むショウブづくりの名人、初夏に咲いたハギの花、最近気になるスポット…と地域の身近な話題をリポートした。
 紙面づくりだけでなく、実際に読者と手をとり合ったのが95年の阪神・淡路大震災だ。発生直後の1月31日号では「避難所生活支援へご協力を訴えます」と1面で呼びかけ、現地で活動するボランティアを募った(写真上)。読者とニュース和歌山社員合わせて約70人が交代で西宮市立浜脇小学校に連日向かい、炊き出しを行った。本紙が派遣した常駐ボランティアによる現地ルポを連載した。

 モノクロだった紙面は92年から徐々にカラー写真を取り入れ、精度も向上。パソコンや携帯電話、デジタルカメラが普及し始め、インターネットにまつわる記事が多く掲載された。
 92年6月16日で紙齢2000号、98年11月21日で3000号に到達し、「ハッサクくん」は連載開始から10年を迎えた99年3月に500回に到達。この回で猫の「チャーラ」が登場し、読者から名前を募集した。今も時折、ハッサクくんに登場している。
写真上=身近な話題をのせたコーナー

2000年〜現在 活性化に挑む人々連載

 新世紀に入り、ぶらくり丁の丸正百貨店倒産やビブレ、長崎屋の閉店と中心市街地の空洞化が進んだ和歌山。行政の施策や整備事業を伝える一方、和歌山の活性化に取り組む市民をクローズアップした。

 2003年は「新世代 時代に挑む、次代を拓く」で、よさこいで和歌山を元気づけようとする青年や、観光客が減少した加太を売り出そうと観光温泉協同組合を発足した地元民が登場。06〜07年には地域に元気を吹き込む人々のインタビューを「まちづくり語録」と銘打ち、花づくり、元気イベント、スポーツと分野ごとに連載した。13年は防災、平和、子育て支援、命とそれぞれの分野で活躍する人を「和歌山ヒーロー」と名付け、44人と6組の取り組みを伝えた(写真下)。

 紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録された04年は「未来へ伝ふ〜KOYA・KUMANO」と題し、カメラマンや語り部ら貴重な文化遺産を守る人々を紹介。東日本大震災と紀伊半島大水害が発生した11年は、現地へ駆けつけるボランティアや和歌山でチャリティイベントを開く人々を追い、翌12年に「地域の絆」をテーマに、掲載者をリレー形式で紹介する「つなぐ人つなぐ」を掲載、1年を通して市民の思いの輪を広げた。
 1週間の催しを紹介するイベントカレンダーは10年1月にスタート。07年から13年にかけて不定期連載した「おはなし一輪」は、読者から寄せられた家族や友人との心に残った思い出、感動した話を載せ、読者の心を和ませた。
 創刊50周年を迎えた今年は、1964年から1年ごとに過去の記事を振り返り、再度取材。「ニュース和歌山が伝えた半世紀」として、1年にわたり連載している。

読者と歩んで50年 
 暮らしに芽吹くニュース和歌山

  ニュース和歌山は創刊当初から暮らしに密着した話題を伝えてきました。今回創刊50周年を記念し、本紙がお役に立てたエピソードを募ったところ、多くの投稿を頂きました。家族のぬくもりを支えている、ライフワークをもらえた…とうれしい声ばかり。その一部を紹介させて頂きます。次の半世紀も皆さんの暮らしの中で育つニュースをお伝えしていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

パン店開店時のご縁に感謝
       紀美野町 三浦末治

 生石高原へ続く道路から細い道を入った紀美野町坂本のログハウスで、「森のぱん屋さん」という店を開いています。国産小麦と天然酵母にこだわって17年目。土日のみ営業しています。
 この場所での開店を決意したのが1996年。和歌山市内に住んでいた当時、なるべく借金せずに店を始めたいと、皆さんコーナーの「差し上げます」欄で〝業務用の冷蔵庫とオーブン〟の文字を見つけました。連絡すると以前に洋菓子店を営んでいた男性で、店舗兼自宅を建て直すために引き取り手を探していたとのこと。オープンからしばらくし、男性は亡くなられましたが、その後、奥様やお孫さんたちが店まで来られ、「ここがおじいちゃんの道具が今もある店なんですね」と喜んでくださいました。冷蔵庫とオーブンは10年ほど使わせてもらい、引退しましたが、一緒にいただいた15枚ほどの天板(パンを焼く際にのせる鉄の受け皿)は今も愛用させてもらっています。
 実は、パン作りの道具だけではありません。このログハウスは自分の手で造ったのですが、その際に使った電動のこぎりや電動くぎ打ち機、このほか物置、さらにパンをこねるための業務用ミキサーも「譲ります」欄で見つけました。
 開店前、周囲から「こんな田舎で営業は無理」と言われましたが、県内外から多くの方が来てくださる。ありがたいことです。皆さんコーナーには本当に助けられました。紀美野町はニュース和歌山配布地域ではないですが、こんなご縁もあり、新聞販売店に頼んで特別に折り込んでもらっています。今もニュース和歌山の大ファンです。
写真=焼く際にのせる鉄製の天板は今も現役

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やしさあふれる温かい新聞
      和歌山市 今城由加

 私とニュース和歌山には切っても切れない関係がある。子どもの頃、大切に飼っていたハムスターが死んで泣いていた私に親が皆さんコーナーで譲り受けたハムスターを家族で迎えた日の事は忘れない。そのハムスターも子供を産み、本紙でお世話になった。ある時は、当時付き合いを反対されていた今の夫が1面で取り上げられ、親に見直されるきっかけとなった。そして今年、2人目の子どもを妊娠し、紙面を通じて、ベビーベッドを臨月の切羽詰まる中譲り受けることができた。今ではそこに赤ちゃんが気持ち良さそうに眠っている。
 地元の人の優しさと親子代々に渡って愛されるこんな温かい新聞を見たことがない。この温かい新聞に私はこれから物だけでなく愛や勇気など様々なモノをもらうだろう。そして子ども達に優しさを伝えていくだろう。親から子、子から孫へそんな愛を優しさにあふれた温かい新聞であり続けることを願う。

写真=今城さんファミリー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
案内記事で参加者増
    和歌山市 中西洋次

 「下りがあるから上るんや」のタイトルでニュース和歌山にサイクリング同好会が紹介され早18年。その時、「夏の信州を輪行で行く」計画をお話していましたが、上りは想像以上にきつく、自転車を何度も押しながら峠の頂上を目指した苦しい思いも、安房峠(1790㍍)からの穂高岳、上高地での素晴らしい風景に感動したことが今でも忘れられません。
 当時は10名足らずのメンバーでしたが、その後もサイクリングの案内を掲載して頂き、お陰様で定年後の健康志向による参加者が増え、今では数十名になっています。
 月1回、会員で健脚、楽々コースに分け、四季折々の風景や食を楽しみながら、そしてまた、毎年初詣、春、秋は市民サイクリングを開催し、老若男女の皆様の参加も増え、楽しく走っています。ご参加をお待ちしております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
文芸の普及に貢献 変わることない絆
     和歌山三幸川柳会代表 三宅保州

 和歌山三幸川柳会は、文芸としての川柳を正しく学び楽しむ会として、会員百数十名を擁して毎月の句会開催や、その発表誌の発刊等の活動を行っています。特筆すべきは貴社とのご縁が長年に及んでいるのです。
 すなわち、毎月募集の川柳の投句先が協賛社として貴社になっており、しかも入選作品の上位の作品が貴紙に掲載されることに及び、川柳の普及と啓発に貢献賜っています。このように貴社のご協力を得て、当会も50年間に600回の句会と発表誌の発刊を行って来られたのは、貴社のご協賛のお陰とその絆に感謝申し上げます。
 貴社の創刊50周年を祝しますとともに、当会へのご協賛に深謝して、ご縁と絆のご紹介とさせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分史語る上で欠かせない存在
       和歌山市 岡育子

 1991年の紙面に「21世紀への夢」という企画記事があった。21世紀で20歳になる小学4年生が対象で、娘の作文も「私の大きな夢」と題して掲載された。その娘も今は結婚して子どもが2人いるが、大きな夢の一つに付随した音楽活動は続いている。投稿記事をとじたファイルにはその時々の出来事を記した私の投稿も多い。
 94年戌年には、「我が家の愛犬」との企画があり、「ゴンちゃんは演技派?」と題し、当時飼っていたテリアのことを書いた。写真も掲載されてまもなく、「うちの子と兄弟では?」と犬を連れ訪ねて来た方もいた。
 最近は老人ホームや病院を訪れるボランティアの仲間を募ったり、私たちのグループも15周年の記念イベントで取材を受けた。会員達には大きな励みになり、来年は20周年を迎える。
 考えてみれば、何と長いお付き合いなんだろう。今これらの足跡は自分史を語る上で、見過ごせない貴重な物になっている。改めて感謝したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ライフワークくれた連載
     海南市 大上敬史

 約35年前、「熊野古道」という言葉すら認知されていなかった時代にニュース和歌山に連載で熊野古道の紀行文が掲載された。当時は熊野古道を歩く人などなく、人気の無さと裏腹な企画だったのに毎週連載される記事に心を奪われた。道なき道を歩くこと自体、不可能と思われたが、執筆者の芝村勉先生は踏破されていった。
 これを読んだ私は、「自分も歩いてみよう」という気になった。芝村先生のように秋のある日、雄ノ山峠からスタートした。記事には、「湯屋谷部落のとっつきの家の裏に『小町堂』なる塚がある」とある。地図を片手に畑作業中の人に聞いて回るも知らない人ばかり。「熊野こどう? なんじゃそれは」という答えが返ってくる。落ち込んでいると、「兄ちゃん。小町堂はそこや」と案内してくれる古老と出会った。熊野参詣の帰路、亡くなった小野小町を弔ったと伝わる塚は、畑の片隅の木陰に他の墓石とともに埋もれていた。私はカメラのシャッターを切った。
 ニュース和歌山の記事がもとで23歳から32年間撮影を続けた。今は私のライフワークである。ニュース和歌山には、感謝していいのか、恨むべきなのか。あの連載に出合わなければ、確実に今の私は存在していない。

写真=初めての取材で撮影した小町堂

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イラスト投稿今は絵が仕事
        和歌山市 mozu

 今から20年くらい前、私が中学~高校生だった時の話です。読者のイラストコーナーに絵を投稿する事が友達の間で流行っていて、私も「いもむしたろう」の名で作品を投稿していました。
 掲載して頂く度に周りから「見たよ! すごいやん!」のお声。お会いしたことのない他の投稿者からも紙面を通じ、「いもむしたろうさんのイラストが可愛くて好き」とコメントを頂いたり、文通友達が「ニュース和歌山見たよ」と手紙をくれたりしました。
 「離れていても見てくれてる人がいるんだなー」とすごく嬉しくて、絵を描く事への励み、自信となったのを今でも覚えています。おかげさまで今は、絵を描く事を生業としています。

昔よくイラスト投稿されていたみなさんが今どうしているのか、気になるところです。

ニュース和歌山の飛躍に期待

本紙配布地域(和歌山市・海南市・岩出市・紀の川市)4市長より祝辞

和歌山市長 尾花正啓さん
    地域密着情報紙として活躍を 

 ニュース和歌山創刊50周年を迎えられ、心からお祝い申し上げます。貴紙におかれましては、1964年12月の創刊以来、地域に特化した情報発信を行い、市民の暮らしに役立つメディアとして多くのファンを増やされたことに深く敬意を表します。
 さて、来年はいよいよ「紀の国わかやま国体・紀の国わかやま大会」が開催されます。選手や監督をはじめとした大会関係者や観戦者など、多くの方々が和歌山を訪れ、本市のすばらしさをアピールできる絶好の機会となります。和歌山市としましては「おもてなしの精神」でお迎えし、和歌山城や豊かな食材、そして海のリゾートなど他の都市にはない地域資源の魅力を発信し、にぎわいや活力のある、きらりと輝く「元気和歌山市」の実現を目指してまいりますので、地域メディアとして皆様方のご支援、ご協力をお願いいたします。
 終わりに、創刊505周年を機に、より一層読者に近い紙面づくりを目指され、地域生活を豊かにする地域に密着したメディアとしてますますご発展されますことを祈念し、お祝いの言葉といたします。


岩出市長 中芝正幸さん
    「郷土紙の理想像」実現へ 

 このたび、ニュース和歌山が創刊50周年を迎えられましたことを心からお慶び申し上げます。
 「郷土紙の理想像」を目指され、1964年の創刊以来、住民にとってなくてはならない情報源として、永年にわたり和歌山市、海南市、紀の川市、そして本市の経済・文化・生活に関する情報を提供し続けられてますことに深く敬意を表します。
 ご承知のとおり、来年は「紀の国わかやま国体・紀の国わかやま大会」が開かれ、本市におきましては、ハンドボール、ボウリング、バドミントンの3競技を開催いたします。他府県から人が集まり、地域と地域、人と人がふれあう絶好の機会であり、本市や和歌山の魅力を全国に発信する機会でもあります。郷土を知り、郷土に親しみ、郷土愛を醸成し、魅力・発信力を高めるためにも、貴紙のご協力が必要であります。
 今後も、地域住民に根ざした情報を提供され、「郷土紙の理想像」の実現に向け、ご活躍される貴紙の更なる発展を心より祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。


海南市長 神出政巳さん
    地元紙ならではの視点で貢献 

 ニュース和歌山の創刊50周年を、心からお祝い申し上げます。
 創刊された1964年は、東京オリンピックの開催や、東海道新幹線東京―大阪間の開業など、終戦後の混乱から日本が復興を遂げた、高度経済成長のまっただ中の、活気あふれる時代でありました。
 以来長きにわたり、多くの地域の問題を掘り起こし、それらを読者に投げかけ、社会の利益を導き出すという役割を実践するため、地域の様々な情報を詳細に取材し報道され、今日まで発展してこられました。
 また、あらゆることが日々めざましく進展する現在においても、地元紙ならではの視点から、和歌山の読者のために和歌山のニュースを詳しく提供し、地域社会や経済の発展に大きく貢献されております。このような時代にこそ、地域に根ざし、地域のために日々活動されている貴紙への期待が高まって参ります。
 今後も、ニュース和歌山がより多くの皆様から親しまれ、地域に密着した情報紙としてますます発展されますことを祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。


紀の川市長 中村愼司さん
    新メディアのパイオニアに敬服 

 ニュース和歌山創刊50周年を、謹んでお祝い申し上げます。
 創刊から半世紀を経られたと伺い、思わずうなってしまいました。今でこそ、フリーペーパーと呼ばれる地域生活情報紙は市民権を得ていますが、日本中が高度経済成長と東京五輪に沸く昭和39年当時は、まだまだ斬新で目新しい媒体と受け止められたのではないでしょうか。新しいタイプのメディアとしての力量が試される中、地域密着型のきめ細かさを持ち味に、媒体の新鮮さを強みとして、新メディアのパイオニアとなって奮励を重ねてこられたのだと想察いたします。社員皆様の永年のご努力と情熱に、ただただ敬服するばかりです。

 モノと情報にあふれる今、私たちの生活環境は目まぐるしく変化しています。有益な情報を求める人々のニーズは高まりを見せ、その選別眼は厳しさを増しています。
 ニュース和歌山には、確かな実績と永年の信頼があります。今後も、多くのファンに支持され、わが街に欠かせない生活情報紙として発展されますよう祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。

(ニュース和歌山2014年12月6日号掲載)