和歌山市と紀の川市を結ぶ貴志川線が今年、開業から100周年を迎える。山東軽便鉄道に始まり、南海電鉄、和歌山電鐵と事業者は変わる一方、地域で暮らす人々の生活や文化、経済を支えてきた。その歩みを振り返り、次の10年、さらにその未来像を和歌山電鐵の小嶋光信社長に尋ねた。

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山東軽便鉄道〜

参詣客や農作物 人と物資を輸送

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 貴志川線の始まりは1916年。山東軽便鉄道が開業し、大橋─山東(現伊太祈曽)の8・1㌔で蒸気機関車を走らせた。軽便鉄道敷設免許申請書には「日前、竈山、伊太祁曽の三大社の存在するのみならず地方物産の増殖、産業の発展に資すること多大」とあり、山東で採れるタケノコや米、果樹を貨物車に乗せて大橋駅へ。そこで和歌川を下る船に乗せ、全国へ出荷した。

 三社詣りの利用も多く、伊太祁曽神社禰宜の奥重貴さん(44)は「今も電車で三社詣りされる方がいます。昔は大晦日だけ、終夜運転をしていたと聞きます」と話す。

 24年に東和歌山駅(現JR和歌山駅)と箕島駅を結ぶ紀勢西線が開通すると、線路の交差を避けるため中之島─秋月(現日前宮)を廃し、東和歌山駅へ。33年に貴志駅まで延伸し現在の路線と同じ形になった。大池遊園にある花田屋の花田文男さん(72)は「マッチ箱と呼ばれる小さな車体で、坂を上る時に電線から電気を引き込む屋根のポールがよく外れ、『パンパン』と音を立てて火花を散らしていました」と懐かしむ。

 沿線にある津秦天満宮の田中邦彦宮司(80)は「小学生のころは津秦に行事の時だけ停まる臨時駅がありました。電車に前かごのような柵があり、自転車を載せられた。終戦直後は買い出し客や荷物で車両も貨車も満載でした」と振り返る。

写真=1938年、伊太祈曽機関庫にて

 

南海電鉄

高度成長と開発 乗客増えるも…

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 南海電鉄時代は乗客数が飛躍的に伸びた。山東軽便時代に100万人以下だったが、1974年には360万人を超えた。山東地区の菖蒲ケ丘団地、貴志川の長山団地ができ、同年に和歌山東高校が開校。急増する沿線住民の足となった。80年代に南海の社員として岡崎前駅で勤務した和歌山電鐵の松原道寛さん(66)は「学生や社会人は皆電車で通い、ラッシュ時は電車の扉を閉めるためにお客さんをホームから押しました。3両編成も走っていたんですよ」。

 ところが自家用車の普及と共に乗客は減り始め、96年の吉礼トンネル開通で減少に拍車がかかり、2002年に200万人を割った。03年秋、南海電鉄が貴志川線からの撤退を検討していることが明らかに。存続に向けて住民が04年に「貴志川線の未来を〝つくる〟会」を立ち上げた。

 会は署名運動やシンポジウムのほか、車内で紙芝居、沿線を巡るウォークなどの利用促進に取り組み、会員は6000人を超えた。「危機感が募りつつ、皆どうしたらよいのかわからなかった。運動はそういう気持ちの受け皿になった」と濵口晃夫代表(74)。県と和歌山市、貴志川町が補助金の支出を決め、岡山電気軌道が06年度に引き継いだ。

写真=1995年引退時の1201形(右)

 

和歌山電鐵

世界から観光客 住民利用も上昇

 2006年4月1日早朝。新たな出発を祝う式典に多くの住民や報道陣が駆けつけた。運営は岡山電気軌道が立ち上げた新会社、和歌山電鐵で、利用客増に向け次々とアイデアを打ち出した。

 同年8月には貴志川特産のいちごをテーマにした改装電車を走らせ、07年1月に、貴志駅にいた猫のたまを駅長に任命。さらに、おもちゃ電車、たま電車も製作し、10年には貴志駅舎をたま駅長を模した檜皮(ひわだ)ぶきの新駅舎に改装した。

 これらの取り組みはメディアで取り上げられ、アジアを中心に観光客が急増。国内外で知られようになり、昨年6月に亡くなったたまの社葬には3000人が参列した。

 また、〝つくる〟会と電鐵は協力し、イベント運営や沿線住民への時刻表の各戸配布、ホームの掃除など地道な利用促進活動も続ける。同社の麻生剛史総務企画部長(42)は「人手が少ない会社でいつも手伝ってくれて助かっています。まさに二人三脚とはこのこと。表舞台に立つことは少ないですが、縁の下の力持ちです」と信頼を寄せる。

 注目度アップと活動の成果で、年間乗客数は05年の192万人から年々増加を続け、13年には229万人に。黒字化に必要な年間乗客数250万人を目標に、沿線住民に年4回の利用を呼びかける。

 〝つくる〟会の濵口代表は「近年は海外からのお客さんが増えていますが、地元住民の日常的な利用も路線継続には欠かせない」とし、「鉄道は暮らし良い地域をつくっていくうえで重要な存在。このことを住民が理解し、それぞれ電車に乗ったり、会の活動に参加したりするのが望ましい」と将来を見据えている。

写真=いちご電車の出発を学生が祝った

 

三位一体で挑む永続への道

事業継承から10年〜両備グループ 小嶋光信代表兼CEO

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――南海電鉄から事業を引き継いで間もなく10年です。

小嶋 当時は年間5億円の赤字を出す路線でしたが、現在は約6000万円まで圧縮できました。減少傾向にあった乗客数も増加に転じた。10年前にはだれも想像できなかった状況で、地方鉄道の奇跡です。住民、行政、事業者の努力のたまものです。

――昨年6月に亡くなったたま貴志駅長も大活躍でした。

小嶋 家がなくて困っていたたまを2007年1月、駅長に迎えました。多くのお客様を招くまさに招き猫。お客様の中には、たまとの出合いをきっかけに結婚した人や、ひきこもりが治った人がいて、貴志川線や全国のローカル線だけでなく、様々な人に希望を届けました。

――最近は外国からの観光客も目立つようになりました。

小嶋 アジアを中心に利用が伸びています。地元の通勤客数も徐々に上がっており、収入が増える一方、業務体系の改善で人件費を見直し、支出を引き継ぐ前の約半分に抑えました。今も赤字ですが、事業基盤は良くなりました。

――昨年12月には県と和歌山市、紀の川市からの補助金継続が決まりました。

小嶋 地方鉄道が生き残るには、線路を行政が管理し、運営を民間が担う「公有民営」しか道はありません。新しい補助金は、10年間という期限付きの「準公有民営」で、運営補助金がなくなります。厳しい状況ですが、行政は補助金、事業者は節約、利用者は受益者負担と、それぞれが負担する三位一体で乗り越えます。地域公共交通活性化再生法改正と交通政策基本法の制定で、これからは地域の鉄道を事業者任せにするのではなく、行政や住民が一体となって交通を維持する流れになります。3者がうまく連携できている貴志川線は理想的な経営モデルになると思います。

──次の10年のビジョンを。

小嶋 まず今年5月にうめ星電車が走り出します。見て楽しい、乗って心地よい〝花も実もある〟電車が、和歌山駅からニタマ駅長の待つ貴志駅まで走ります。沿線には、全国に誇れる由緒高い日前宮、竈山、伊太祁曽の三社、平池、大池遊園、四季の郷公園など観光資源や家族で楽しめるスポットが豊富。鉄道を核にこれらを売り出し、沿線の人口増加を図ります。また、日前宮─神前は距離が長く、新駅を住民と検討したいです。

──さらにその先は。

小嶋 人口減少社会が進めば利用客も相対的に減ります。行政が公有民営のための財源をいかに確保するかが鍵になります。都市の集約が進む中、地方鉄道が果たす交通ネットワークの重要性を浸透させたいですね。  (文中敬称略)

(ニュース和歌山2016年1月1日号掲載)