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 日本初の国産飛行船を開発した和歌山市出身の山田猪三郎(1863~1913)が、世界の航空業界の功労者を讃える国際航空連盟の殿堂に名を連ねた。9月に米国・ニューメキシコ州にある気球博物館で写真や模型を展示。地元和歌山では7月16日(土)に殿堂入りを記念したシンポジウムが開かれる。猪三郎のひ孫で、気球製作所(東京)の豊間清社長は「100年以上経っての殿堂入りに天国で驚いていると思います。地道に努力を続ければ報われる日が必ず来ると教えてくれました」と喜んでいる。

 紀州藩士、山田用助の子として和歌山市に生まれた猪三郎。1886年のノルマントン号事件で多くの日本人が溺れ死んだことを知り、25歳で携帯用救命具の開発に乗り出し、ゴム加工技術を気球や飛行船の研究に発展させた。1910年にはプロペラ付きエンジンを搭載した飛行船を東京上空に飛ばした。

 160709_yaamada「飛行機が飛ぶより前に空を開拓したのが気球や飛行船です。猪三郎は日本で最初に空を飛んだ人物として航空関係者の間では有名です」と語るのは、国際航空連盟気球委員会の日本代表を務める市吉三郎さん。国産飛行機として戦時中の戦闘機、零戦を例に挙げ、「外国からの技術支援があっての飛行機でした。猪三郎は支援なく独自に飛行船を造り上げた。その想像力と技術力は図り知れず、そういった先覚者は国内だけでなくアジアでも唯一という点が評価されたのでは」とみる。

 殿堂は毎年、生存者と故人から1人ずつ選ばれ、これまで、世界で初めて熱気球による有人飛行に成功したフランスのモンゴルフィエ兄弟、日本では熱気球で高度や距離の世界記録を樹立した神田道夫さん、熱気球の大会など航空スポーツの発展に尽力した角田正さんが選ばれている。

 輝かしい功績を残した猪三郎だが、地元和歌山では長年忘れ去られた存在だった。猪三郎の死後、親交があった当時の文部大臣、鎌田栄吉が和歌浦の高津子山に石碑を建立。高さ5㍍、飛行船が彫られた石碑だが、顧みられることなく、土台は劣化し、草むらの中にひっそりたたずんでいた。

 この石碑に着目したのが郷土史を研究する元高校教師、和歌山市の小林護さん。小林さんは初飛行から100年を迎えた2010年に顕彰会を立ち上げて慰霊祭を開き、寄付金を集めて土台を修繕し、功績をまとめた絵本を作成した。

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 同時期に豊間社長も航空愛好家が集うブイヤント航空懇談会の会誌で、猪三郎の歩みや小林さんらの顕彰活動を紹介。それを読んだ市吉さんが、殿堂入りの候補に推薦した。小林さんは「研究に没頭した猪三郎の姿勢は、子どもたちに夢を追いかける素晴らしさを教えてくれる。殿堂入りは地元の先人を知ってもらう活動の弾みになる」と喜ぶ。

 猪三郎が興した気球製作所は現在、気象観測用のゴム気球を主力商品とし、世界各地の気象庁や研究機関で活用されている。豊間社長は「曾祖父の口癖は『技術報国』。私費を投じて造り上げたアグレッシブな精神を引き継ぎ、社会に役立つ物を世の中に届けたい」と身を引き締めている。

 シンポジウムは16日午後1時半、和歌山市本町のフォルテワジマで開かれる。顕彰会会員の神保紀代子さんが主宰する勉強グループ「Jプロジェクト」主催。豊間社長や小林さんが話す。200円。小林さん(073・445・0494)。

(ニュース和歌山2016年7月9日号掲載)