和歌山市の喜多流能楽師で、重要無形文化財総合保持者の松井彬さん(69)に7月、ロンドン大学ロイヤルホロウェイ校から名誉博士号が贈られた。日本の能楽師としては初の栄誉で、アメリカやヨーロッパでの活動が高く評価された。松井さんは「伝統を守るだけでなく、攻めることを考え海外で広めてきた。やってきてよかった」と喜んでいる。

 

国際的な普及活動が高評価

 

松井1

 中学2年の時に喜多實宗家に弟子入りし、20代で能楽師として一人立ちした松井さん。和歌山に稽古場を設け、観世流の小林慶三さんと一緒にけんぶん能や市民能を立ち上げ、地元でも普及に努める。

 当時、和歌山と東京を行き来する中、松井さんには悩みがあった。和歌山では、能の愛好者以外への広がりを得にくく、一方の東京では能楽師の家の出身でないことが壁になった。その中で、能楽師には未踏の領域だった海外に自らをかけた。

 1970年代にカナダのリッチモンド、アメリカのベーカースフィールドと和歌山市の姉妹都市へ文化大使として渡り、能を披露したのを皮切りに、演劇学部のあるアメリカの大学へ積極的に赴き、能の魅力を伝えた。

 英語能にも取り組み、2006年にはリッチモンドで、和歌山からの移民の悲哀を描いた『かもめ』に出演。昨年末はオーストラリアのシドニー大学で英語能『オッペンハイマー』の上演を指導、出演した。〝原爆の父〟といわれる物理学者、オッペンハイマーの霊が罪の意識に苦しむ中、外国人巡礼者と広島で出会い、悟っていく物語は話題となり、現在、広島公演が検討されている。

松井2 ロンドン大学では約30年前から能の講座があり、松井さんは同大ソアーズ校で、4年前からはロイヤルホロウェイ校で指導を始めた。学生は年間を通じて練習し、松井さんは年に3週間ほど滞在。集中し、謡、型を教える。松井さんは「学生は私がいる間に曲を覚えようと熱心です」。

 ポーランドのワルシャワでは、松井さんの会「緑蘭会」ができるなどヨーロッパでも拠点を広げ、ロイヤルホロウェイ校から「多数の異文化プロジェクトや能のパフォーマンスで能の国際理解へ貢献した」と讃えられた。

 「海外では能は伝統芸能ではなく、前衛芸術としてとらえられ、多分野からの関心が高い」と松井さん。来年2月にはロンドンでチェロの演奏やクラシックバレエと競演する舞台が決まっている。「伝統芸能には〝守破離〟という言葉がある通り、芸能は守るだけでなく、離れることも大切。そこから新しい能の良さも分かってもらえる」と力を込める。

 40年来の松井さんの弟子で能面師の久保博山さんは「今でこそ能楽師が海外へよく行くようになりましたが、松井さんはそのパイオニア。能パフォーマンスという形で演じて英語で解説し、海外の人にうまく伝えるので感心します。今後も無理せず、海外でも活躍してほしい」。和歌山文化協会の楠山繁会長は「継続して海外に渡り、日本文化を伝えてきた成果。本当に喜ばしく、今後もあることではないと思う」と話している。

(ニュース和歌山2016年8月20日号掲載)