higashinihon 東日本大震災直後、娘夫婦の住む和歌山市へ避難していた佐藤勉さん、和子さん夫妻が18日、ふるさと福島県へ戻った。5年8ヵ月の避難生活中、勉さんは剣道、和子さんはスポーツ吹矢を通して、和歌山の人たちと交流してきた。「多くの方と友達になれたし、お世話になりました。『ありがとう』の言葉しかありません」。感謝の気持ちを胸に、2人は福島で新たな生活を始める。

 震災まで2人が暮らしていたのは、福島第一原子力発電所のある大熊町の南隣、富岡町。今回、同県内にあるいわき市の次男宅隣りに新居をかまえ、戻ることになった。

 勉さんは27歳の時に立ち上げた富岡町少年剣道団で青少年育成に尽力してきた。避難中の和歌山でも3つの剣道クラブで指導をお手伝い。また、和歌浦西の県立武道館でママさん剣道教室「富徳館」を開いてきた。「剣道に集中している時だけは避難していることを忘れられた。親切な人が多く、楽しい時間を過ごせました」

 スポーツ吹矢の指導員資格を持つ和子さんも、競技を通して交流を重ねてきた。「加太や白浜、根来寺、高野山、龍神温泉…。いろんな方にお誘いいただき、県内の数え切れないほど多くの場所に足を運ばせてもらった。娘より多くの所に行ったと思います」と笑顔を見せる。

 勉さんが富徳館を始める際、会場確保に尽力したのが、三葛在住の洋画家、中尾安希さんだった。勉さんは「日本一周の旅に誘ってもらったのも思い出。長く剣道中心の生活で、妻と行った2度目の旅行でした」。

 福島に戻る勉さんに、中尾さんは和歌山城を描いた油彩画3点を贈った。「桜の季節と桜が終わったころに描いた作品。今度は私が福島におじゃまさせてもらいたいので、おふたりには長生きしてもらわないと」と中尾さん。

 富岡町少年剣道団は、教え子たちが移り住んだいわき市で今も守ってくれている。勉さんは「私もまた教えるつもり。剣道で出会った和歌山の人たちとも長く付き合っていきたい」と話していた。

写真=中尾さん(右)から和歌山城を描いた油彩画を受け取る勉さん

(ニュース和歌山2016年11月26日号掲載)