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1915年生まれの兄は、甘い物が大好きでした。1944年に戦死して以来、田んぼのあぜ道に彼岸花が咲くころには、おはぎを作って仏前にお供えしてきました。かけがえのないただ一人の兄は、青春を謳歌することもなく、結婚することもなく、はるか遠くの地で帰らぬ人となりました。 昭和30年代後半、NHKで、確か「虹の故郷」というタイトルの番組がありました。宮田輝アナウンサーの司会で、ゲストのアイ・ジョージさんがギター片手に、おじいさん、おばあさんの前で「流れ流れて落ち行く先は、北はシベリア、南はジャバよ…」と歌っていました。 兄が戦地に向かう折、近所の方にこの歌詞を言っていたというのを思い出し、私は懐かしくて、すぐ放送局にお便りを出しました。 つたない文章、下手な字の手紙に、数日後、「宮田輝(代)」として、うれしいお返事が届きました。宮田さんの写真が載った絵はがきには、「アイ ・ジョージさんの歌声は、遠い南の島のお兄さんのもとにきっと届いたことでしょう」とありました。2人の娘は「お母ちゃんの宝物やな!」と言って、大変喜んでくれました。 そんな娘も嫁ぎ、私はもう85歳。脳梗塞の後遺症に、多少身体は不自由になりましたが、長男夫婦のお世話になりながら幸せな余生を送っています。 現在は週に3回ほど通う地元のデイサービスも楽しみです。孫も自立し、ひ孫も増えてくるのが楽しみです。脳梗塞の後遺症は辛いけれど、嫁の見送り、出迎えに励まされ、リハビリにも出かけます。 ただ、戦後何年過ぎようと、お彼岸には兄が手を大きく上げながら、故郷の道を帰ってくる夢を捨てきれずにいます。 「美しき 花咲く春も 待ち得ずに 君は はかなくも なりにけりかも」 戦後、どこかの娘さんが恋人に捧げた歌です。私の兄もこの通りです。 (紀の川市 奥まさ子) 写真=今はひ孫とのひとときが楽しみの一つ |
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