ジョブ魂
天満天神繁昌亭支配人
 恩田雅和さん
(60)

落語300年の歴史 次世代へ

 和歌山各地で長年、地域寄席「紀の芽寄席」を主宰してきた和歌山市の恩田雅和さん(60)は2007年、関西で戦後60年間、え絶えていた常設の落語小屋「定席」(じょうせき)として開館した「天満天神繁昌亭」(大阪市北区天神橋)支配人に招かれ、上方落語界の新しい歴史の一翼を担っている。学生時代から寄席と立川談志の独演会に通いつめて培った落語への深い造詣と、90回に及んだ「紀の芽寄席」を支えてきた熱意が上方落語協会会長の桂三枝らにかわれ、夢の大抜擢を受けた。開館から連日の盛況で、今月中旬には来場者50万人にとどく繁昌亭。「伝えたいのは落語の本場上方でながらく絶えていた寄席の面白さ。300年続いてきた日本の古典芸能を生きた形で次の世代に伝えたい」

希望 持ってもらえる場に

寄席に浸った青春

 落語と出合ったのは病床だった。大学進学で上京して2年目、病気になり故郷新潟の病院で1年を過ごした。ある日、退屈しのぎにつけたラジオからにぎやかな声が聞こえてきた。林家三平の落語「犬の目」。弾むような三平の噺にベッドで声をあげて笑い、看病の祖母を驚かせた。
 大学に戻り、東京に5カ所あった「定席」のひとつ新宿末廣亭に通い始めた。昼過ぎに入り、約8時間、月3回は寄席にいた。「全く退屈しなかった。そして退屈しないように寄席ができているのを知り、さらに寄席どっぷりになった」
 寄席は、とり、中とりで出演する落語家がメーンだ。しかし、休憩の中入り後に「くいつき」といってゆるんだ客の注意を取り戻す落語家が入り、続いて「しばり」といって客を釘付けにする演者が続く。とりの前は、漫才や講談、手品と目で楽しめる「色物」。客の耳を一旦休ませて、とりを楽しんでもらうように組まれている。「実は、寄席はチームプレーで、誰がどの位置で何を披露するかを味わうもの。流れを楽しみ出すと離れられない」。青春を寄席に費やした。

紀の芽寄席

 1974に和歌山放送に入社し、記者、ディレクターとして多くの番組を担当した。夏の高校野球県大会の番組チーフを長年務め、智辯和歌山の躍進を追った。取材を通じ、作家の中上健次と知り合い、中上が死ぬまで親交は続いた。
 87年には和歌山市在住の桂さん福と知り合い、落語熱が再燃した。2人で「紀の芽寄席」を立ち上げ、落語家を招き、和歌山の人に寄席を届けた。「再び落語とかかわれ、喜んでもらえる。うれしかった」。さん福はラジオ番組中に倒れ、帰らぬ人となったが、寄席は続けた。91年からはラジオ番組「紀の国寄席」がスタート。桂春雨、福車の協力を得て毎回、中堅落語家の噺を地道にマイクで拾い続けた。上方落語界との絆が深まった。

笑い求める心

 「桂三枝会長に会って欲しい」。2006年秋、突然、当時の上方落語協会副会長の桂春之輔から電話があり、支配人に招かれた。青天の霹靂だった。
 東京と違い、戦後、関西に「定席」が絶え、落語家からも「自分の目の黒いうちにできたら…」と、できるのは奇跡に近かった。その新たな歴史を担え、「青春が蘇ってきた」。寄席の面白さは誰より身に染みている。青春のすべてを賭けうることに心が震えた。
 上方落語協会230人の落語家から2カ月先の出演者と順番を一人で選び、運営委員会に提出し意見を交わす。その後に出演交渉し、中身を煮詰める。「お客さんに喜んでもらえるのが第一ですが、人気者だけでなく中堅を抜擢し育てねばならない」。それゆえ芸は会場で見、客の見送りにも並ぶ。直接、客の反応に触れることが次に生きる。
 最近、不登校とおぼしき少年の姿が目につく。「寄席には様々な思いや孤独感を抱えてくる人もいる。そういう人に翌日、希望を持ってもらえる、開かれた場所としてありたい」。笑いを求める一人ひとりの心を見過ごさない。

写真=左から露の紫、笑福亭喬介、ナオユキらと話す恩田さん(右)

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※ニュース和歌山2009年10月10日号掲載