先日の本紙「すいようプラザ」欄の、和歌山市加納にお住まいのお若いご婦人の投稿に私を評して、「男の子っぽくてロマンチストという感じがする」とあった。
「男っぽくて……なら分かるが、男の子っぽくて……とはどんなことなんだろう」と傍らの愚妻に問いかけると、うちのバアさん、極めてこともなげに、「それはあんたが成長が止まっているということなんでショ」。参ったなァ。
ところで、ほんとに成長が止まってほしいと思われる人がいる。それは名子役といわれる人たちである。
私の母親は、戦後まもなくこの世を去ったが、子役といえば、いつも高尾光子のことが話題にのぼった。高尾光子は大正の中期から昭和にかけての松竹の名子役だったが、私は成長した彼女しか知らない。彼女もまた子役時代の名声が高すぎて、成人してからあまりパッとしなかった。これは例えば「ジェーン・エア」などで活躍したアメリカの名子役、マーガレット・オブライエンが娘役で芽が出なかったように、東西共通の傾向といえよう。私の知っている唯一の例外は高峰秀子だが、彼女については、また稿を改めて、その思い出をたどってみたい。
昭和の初年、松竹蒲田で高峰秀子や突貫小僧などとともに出演していた子役に、市村美津子という可愛らしいオカッパ頭の女の子がいた。高峰秀子より2歳年下だったが、小学校入学以前にデビューし、日本初の本格的トーキー、「マダムと女房」(昭6・松竹・五所平之助監督)では、主役の劇作家夫婦(渡辺篤と田中絹代)の娘に扮して、あどけない演技を見せていたというが、その頃の彼女は私の記憶にはない。私の心に残るのは、岡田嘉子と母子になって出演した「東京の宿」(昭10・松竹・小津安二郎監督)で、既に私も中学校に入学していたので覚えているのだが、この母子を中心に、貧しい人たちの心の交流と愛情を描いた、いま思い出しても心の温まる佳編だった。
この市村美津子も、いつの間にか銀幕から姿を消してしまったが、お元気だろうか。なお、お母さん役の岡田嘉子は、松竹退社後、昭和13年、日中戦争たけなわの頃だったが、新協劇団の若手演出家、杉本良吉と樺太の国境線を越えてソ連に亡命、先年30数年ぶりに一時帰国して、「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」(昭51・松竹・山田洋次監督)で、先日死去した宇野重吉らと共演したことなど、まだ皆さんの記憶に新しいところであろう。
(初出昭和63/1/20)
〈写真=「東京の宿」の市村美津子と岡田嘉子〉
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