わがスクリーン遍歴
      
89.一番美しく

     
矢口陽子(右)と入江たか子 昭和19年、当時私がいた東芝の真空管の部品工場には雑多な人種がいた。もとからの女子工員の他に、岩手県から動員されてきた女子挺身隊員たち、同様に近くの旧制女学校から動員されてきた高学年生たち、いずれもうら若き女性ばかりだった。男性は私以外、その現場では老いたる係長と、やはり盛岡から動員されてこの職場に配置された中学校3年生がふたりだけだったから、戦時中とはいいながら、約80人のべっぴんたちに囲まれて、なんとも男冥利に尽きる話だった。今、その中の誰ひとりとして交流はない。それぞれが故郷に帰って、幸せな家庭を築いたことであろう。
 黒澤明監督第2回目の作品「一番美しく」(昭19・東宝)はその頃に見た。ある光学兵器工場に働く女子挺身隊員たちの物語だった。「女子挺身隊」などという難しい言葉が出てくるが、当時、国民学校――今の小学校――を卒業後、進学せずに家庭にいて仕事に就かぬ未婚の女性は、この「女子挺身隊」に入れられ、強制的に飛行機工場などの軍需工場へ動員されたのである。恐ろしい時代だった。
 この映画の主人公は矢口陽子だった。初の主役だった。こんなシーンがあった。女子挺身隊の隊長の矢口陽子が、何かのトラブルの解決に心を奪われて、不良品のレンズを検査済みのほうに入れてしまう。これに気づいた矢口が、ひとり工場に戻り、深夜まで再チェックする。心配そうに待機する工場長(志村喬)や寮長(入江たか子)、寝ないで待っている挺身隊員たち……。
 全体のストーリーは忘れたが、このシーンだけはよく覚えている。この映画は実際の工場で撮影して、セミ・ドキュメンタリー風に制作された戦意昂揚を目的とした映画だったが、このシーンはちょっとオーバーな気がした。私の扱っていた女子挺身隊員たちは、正直なところ、そんなにコチコチに尽忠報国の精神に燃えてはいなかった。物質面には不自由はしていても、そこにはまだ若さからくる心の豊かさが残っていた。まだ本土空襲のない時代のことである。
 後日談になるが、復員して再び先の職場を訪れた時、広い工場の所々に爆弾が落とされていたが、私の職場は元のままでひとりの死傷者もなく、皆元気で帰郷したと聞いてホッと安堵の胸をなでおろしたことは忘れられない。
 矢口陽子はその後、スクリーンではお目にかかっていない。翌20年、結婚して芸能界を引退した。すなわち、現黒澤明監督夫人である。  

(初出平成元/6・14)

写真=「一番美しく」の矢口陽子(右)と入江たか子〉