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紀州徳川家の菩提寺として名高い長保寺(海南市下津町)。寺伝では、長保2年(1000年)に、一条天皇の勅願で性空上人が創建したとされる。それから600年余り後、初代藩主頼宣が紀州徳川家の菩提寺と定めた。将軍となった吉宗、慶福(家茂)を除く歴代藩主らが眠っており、大名墓所としては日本最大規模を誇る。本堂、大門、多宝塔がそろって国宝指定なのは奈良の法隆寺と長保寺のみ。厳かな雰囲気から、頼宣が菩提寺に選んだ気持ちが伝わってくるようだ。
写真=文化財を展示する御霊室 |
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さらに、和歌山城から適度な距離があり、万一城が落城した際に、三方を山に囲まれたこの地を、堅固で地形が険しい天然の要害として利用しようとの戦略的な観点があったとも考えられている。それまでの寺領は、徳川家以前に紀州藩を治めていた浅野幸長から寄進された5石だったが、2代藩主光貞が新たに500石を追加して寄進しており、紀州徳川家がいかに手厚く、菩提寺にふさわしい待遇を用意したかがうかがえる。 歴代藩主が眠る和歌山藩主徳川家墓所は1981年に国指定の史跡となった。山腹を切り拓き、3段にわたって形成され、頼宣の墓所は最下段の中央に位置する。墓碑や石灯籠、墓所を造成する石垣など壮麗豪華な石造遺構は大名墓所の代表例で、江戸時代の墓制、葬制を知るうえで貴重な遺跡だ。 また、歴代藩主と正室、側室などの位牌を祀る、県指定文化財の御霊屋(おたまや)には、国宝大門に当初掲げられていた額、吉宗寄進の香炉など貴重な文化財が展示されている。 菩提寺になった長保寺には、歴代藩主から仏画や経典を含め数多くの宝物が奉納された。崎山利兵衛の開窯が藩に許可された南紀男山焼の初期作品、将軍家茂が幼少時に遊んだ水晶で作られた子犬の人形など珍しいものもある。 県立博物館の竹中康彦学芸課長は「長保寺は荘園時代から常に政治的にも中核となってきた。まだ整理しきれていない史料や情報がたくさんあり、さらに調査を発展させねばならない。文化財に指定されてもおかしくないものばかりです」と語る。 寺の案内は先代から住職が行っている。「訪れる方から、案内をして欲しいとの声が多くあったので」と瑞樹住職。本堂、藩主墓所、御霊屋内拝ができる。「200人ぐらいまでなら一グループで案内しますよ」 瑞樹住職は情報発信にも力を注ぐ。いち早く寺のホームページを作成。「図録や新聞の記事は、分量も見る人も限られる。一つの媒体では紹介しきれない“長保寺"をインターネットにデジタルデータとして置いておけば、いつでも見たい人が知りたい情報を手に入れられる」と話す。歴史や文化財の紹介、バーチャルツアーなど充実した内容で、学術的にも利用してもらえればと、文化庁や博物館学芸員の解説も掲載し、年間20万アクセスを超える。 一方で、長保寺は地域の人々に長く愛され、深く根付いている。旧下津町の元教育長、青木重雄さん(81)は代々、寺の行事を手伝う「長保会」の一員。檀家が徳川家のみだった江戸時代に組織したとされ、毎年4月8日に開かれる祭りの準備などをしている。青木さんは「皆、愛着と奉仕の気持ちがあります。互いに得手とすることを分担し、毎朝6時に鐘をついている人もいますよ」と話す。 豊かで静かな緑に囲まれ1000年の歴史を見守ってきた長保寺。頼宣が永遠の安息の地として選んだ森厳なこの地には、悠久の時を経てなお、紀州徳川家の思いが今も静かに息づく。 |
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