城下町の風景 〜カラーでよむ『紀伊国名所図会』〜
画=岩瀬広隆、彩色=わかやま絵本の会・芝田浩子
朱色の鳥居と根上り松  (7)車坂稲荷社

 和歌山城の南から新堀にかけては、吹上砂丘の峯が続いていました。上の絵は、吹上の車坂(桐蔭高校北側)付近の約160年前の風景です。
 周辺の砂丘の斜面には根上り松がたくさんみられ、車坂は砂丘を東西に横ぎる切通の一つだとわかります。その語源は、熊野御幸の時に輿車(こしぐるま)がよく通った道だからとか、小栗判官が熊野の温泉に向った道だからといわれますが、はっきりしません。
 車坂稲荷は、江戸時代に大智寺境内、今の中央保健所東側の砂丘頂上にありました。絵では、家来を連れた武士、日傘を差した親子らが坂を登り、稲荷社に参拝しようとしています。人々は願かけをして叶うと鳥居を寄進したといい、坂から社頭までの間には朱色の鳥居が2列で数千基たち並んでいます。江戸時代の人々は、どんな願をかけたのでしょうか。稲荷社は、大智寺が大立寺に併合された明治初年に、車坂南側の砂丘上に移されました。(和歌山市立博物館主任学芸員 額田雅裕)