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上の絵は今の和歌山県立博物館付近にあった吹上砂丘の上から眺めた風景で、中央の建物は堂形の射場(どうぎょうのいば)といいます。
江戸時代に弓矢の甲子園であった京都の三十三間堂の通し矢で、貞享3年(1686)に名草郡和佐村(現和歌山市)の和佐大八郎が一昼夜に8133本の弓矢を121メートル先の的に命中させ、日本一の記録をつくりました。それにちなんで、弓矢の練習場に屋根をかけたようです。
射場の西側は松原になっていて、その中には通り抜けの道や眼鏡(めがね)池がありました。背景には和歌道を行き交う人々、右上には今の和歌山県庁付近にあった約9000坪の広大な久野丹波守の上屋敷をえがいています。久野丹波守(1万石)は、伊勢の田丸城を拝領し、紀州藩家老を務めていました。右端の長屋門の前には、来客でしょうか、駕籠から降りた武士と出迎える人がおり、お供の人たちが外に立っています。(和歌山市立博物館主任学芸員 額田雅裕)
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