医学館は、寛政4年(1792)に、10代藩主徳川治宝が藩内の医師の子弟や門下生に漢方の医学を教授する医学校として、本町三丁目に創設しました。その後、医学館は雑賀屋町(現在の県庁北側)に移され、天保年間(1830〜44)には「施薬局」が置かれ、庶民に薬を施す藩立病院の役割も果たしました。 絵の手前の道は、左へ坂道を下ると藩校学習館に、右へ行くと久野丹波守の上屋敷に突き当たります。この南北方向の道に面して冠木(かぶき)門が設けられています。その門をくぐろうとしている人物は、帯刀し剃髪している風体から医師と思われます。 門の両側にはナマコ壁の長屋、奥には医学館の本棟がみえます。城下町の武家屋敷は質素な建物が多かったようですが、江戸時代の後期になると、城下町にはこうした立派な建物も建てられました。ここは、現在も病院になっていますが、それは偶然でしょうか?(和歌山市立博物館主任学芸員 額田雅裕)