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これは三年坂から東側を見た約160年前の風景です。道の北側には南堀、東堀、東外堀があり、背景には今の紀の川市の龍門山がえがかれています。
三年坂は、お城から南へ続く吹上砂丘の切通しの一つで、当時は今より狭くて急な坂道でした。荷車で板材を運ぶ職人たちは、坂を登りきり一息ついています。三年坂には、「この所にて転びしものは、3年の内に必ず死ぬ」という俗信がありました。暗くて急な坂なので転ばないように気をつけよということだったのでしょう。坂は明治以降、何度も切り下げられ拡幅されました。高石垣は、砂丘地帯のため堀のかわりに、お城の南西部の護りとして造られたものと考えられます。
東外堀沿いには土塁が築かれ、松が植えられています。三の丸入口には広瀬御門があり、その両側の土塁は石垣で固められているのがわかります。しかし、御門と土塁は明治初年に撤去され、東外堀は大正5年(1916)に岡山丁から屋形町三丁目まで埋め立てられ、跡地は一般に払い下げられました。(和歌山市立博物館主任学芸員 額田雅裕)
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