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上の絵は、約160年前の和歌道に沿う吹上の武家屋敷地の風景です。手前の和歌道(ほぼ現在の国道42号)は和歌山城の西側から和歌浦に至る砂丘上の道で、幅が約6メートルありました。そこには、ふり売り商人、登城する武士の一行、親子連れらの姿が見えます。
土塀で囲まれた武家屋敷の樹木の間にはお城が見えますが、ここは誰の屋敷でしょうか? 和歌道と右(東)側の道は三叉路をなしていて、武家屋敷はその北東角地に位置し、南側に門があります。この条件と合う武家屋敷を当時の城下町絵図で捜すと、市川門大夫(250石、現吹上二丁目)と伊達千広(800石、同三丁目)の屋敷の2軒しかありません。千広は、勘定奉行兼寺社奉行を務めていましたが、嘉永5年(1852)、10代藩主徳川治宝の死によって失脚し、田辺の安藤家に預けられます。もし伊達屋敷だとすると、千広の子陸奥宗光が生まれた所ですが、門構えからすると、市川屋敷かもしれません。どちらにしても、中級藩士の屋敷の様子がわかる貴重な絵です。(和歌山市立博物館主任学芸員 額田雅裕) |