|
上の絵は、約200年前の寺町の風景です。寺町は和歌道(現国道42号)から東へ入った横町で、和歌山城南側の防備のために寺院が配置されました。
東西に走る寺町通りの両側には報恩寺、護念寺、大恩寺、窓誉寺、三光寺、恵雲寺、本光寺、妙法寺、大泉寺、延寿院、法泉寺、蓮心寺が見えます。寛永10年(1638)の大洪水の被害を受けて、元寺町から移ってきたお寺もあります。寺町通りの東端には階段があって、標高約20メートルの吹上砂丘の上に広大な敷地の大智寺が建っています。同寺は初代藩主徳川頼宣が兄の2代将軍秀忠の菩提を弔うため寛永9年に創建したもので、本堂の左横に御霊屋が見えます。
しかし、大智寺は明治3年(1870)に橋向丁の大立寺に併合されました。その跡地には大正14年(1925)に真砂浄水場が建設され、水道坂が切通されました。その周辺の地形は大きく変わりましたが、砂丘上には徳川家御廟だけが残り、歴代藩主の妻や娘の墓碑が今もひっそりと並んでいます。(和歌山市立博物館主任学芸員 額田雅裕) |