城下町の風景 〜カラーでよむ『紀伊国名所図会』〜
   
画=西村中和、彩色=わかやま絵本の会・芝田浩子
堀止東にあった南外堀  (26)神明社・万性寺/堀止眺望

 左側は神明神社と万性寺(ばんしょうじ)付近、右側は堀止から新堀方面を見た約200年前の風景です。
 左の絵の神明神社は寛永12年(1635)に吹上から今福(現=堀止西二丁目)の小高い砂丘上へ、また万性寺は延宝5年(1677)に井原橋の北側から今福へ移転してきました。
 新堀川は、和歌山城の防備と武家屋敷地への物資輸送のため、寛文9年(1669)ころに掘削されました。当初は堀に面して万性寺が建っていたのです。初代藩主徳川頼宣は和歌川から今福に至る南外堀を計画し、神明神社前まで掘り進みましたが、今の堀止交差点まで埋め戻したため、付近を堀止と呼んでいます。
 右の絵の新堀川は幅約33メートルで、砂丘地帯を横切るため深い谷のようです。その右側は新堀の町人町、左側は吹上の武家屋敷地で、袖摺松という枝ぶりのよい松が見えます。しかし新堀川は、大正12年(1923)和歌山市水道局の真砂浄水場建設によって、不用となった土砂で埋め立てられました。(和歌山市立博物館主任学芸員 額田雅裕)