国際ろう者スポーツ委員会が主催する、聞こえない・聞こえにくい人のためのオリンピック「東京2025デフリンピック」柔道女子52㌔㌘級に出場。世界の強豪相手に銅メダルを獲得し、同大会日本勢第1号のメダリストとなった。生まれつき難聴と軽度の知的障がいをもちながらも、前向きに努力を重ねる若き柔道家の足跡をたどる。
勝負決めた40秒
デフリンピックは4年毎に開催される、デフアスリートのための国際スポーツ大会。日本で初の開催となった東京大会は100周年という節目でもあり、世界中から関心を集めた。
自身の試合は開幕2日後の11月16日に行われた。同階級では日本から唯一の出場だったが、平常心で勝負に臨んだ。
その試合運びは相手の力を利用する、まさに「柔よく剛を制す」。小柄な体型を活かし、スピード感あふれる柔道で果敢に立ち向かった。アイルランドの選手と対戦した3位決定戦では、試合開始と同時に技ありを奪い、間髪入れずに得意技の背負い投げで合わせ技一本。わずか40秒で勝利を引き寄せた。試合寸前まで、技を繰り出すタイミングを頭の中で何度もシミュレーションした成果が出た。
「自国開催のプレッシャーは大きかったですが、応援してくれた皆さんが背中を押してくれて心強かったです。試合後は大好きなチョコレートをたくさん食べました」と笑う。
柔道との出会い
柔道を知ったのは小学2年生のとき。自宅が泥棒に入られたことにショックを受け「私が犯人を捕まえる!」と家族に宣言。祖父が柔道、父親が相撲の〝武道一家〟という縁から、打田柔道スポーツ少年団への入団を勧められた。
身体を動かすのが大好きな反面、じっとしているのが少し苦手な子どもだった。しかし、初めて道場を訪れた日は行儀よく正座を崩さなかった。付き添っていた母親は「(柔道は)向いているかもしれない」と安堵したという。
入団後は一般ルールの柔道に取り組んだが、中学生のころ締め技への恐怖感が生じ、競技から距離を置くことに。そんな時、ID=アイディー=柔道(知的障がい者柔道)の存在を知る。相手に無理な体勢を強いる技の禁止など、安全確保のための特別なルールを設けており、高校2年生からはID柔道を指導する光真道場(由良町)に練習の場を移し競技を再開。これまで抑えていた柔道への思いが畳の上で一気に解放された。18年には、第1回全日本ID柔道選手権大会で優勝を成し遂げた。
仲間に恵まれ成長
3年前に就職した和歌山市中之島の紀陽ビジネスサービスでは、顧客情報の登録チェックや為替業務のデータ照合などの業務に携わる。
デフリンピックの育成、強化選手に選出された24年以降は、仕事以外の時間は全てトレーニングに費やした。紀柔館(和歌山市)で稽古に励み、県外への出稽古や月一度の合宿参加など、厳しい練習に明け暮れた。
同社の田村和也代表取締役社長は「ハードな競技生活を送っていたのでケガが心配でした。世界が相手ですし、あえて柔道の話をしないよう気を遣っていましたが、メダルを持ち帰ってくれて安心しました」と微笑む。
大会終了から2カ月余り、心と身体を休める穏やかな日々を過ごす。「今後の目標についてはまだこれからです。でも、たくさんの大切な仲間に恵まれ、人間的にも成長させてくれた柔道は、私にとって世界との架け橋。これからも楽しく続けていきたいです」
(ニュース和歌山/2026年1月17日更新)





























