和歌山県立桐蔭高校から京都大学、和歌山県職員、そして伝統芸能の世界に身を投じた異色の経歴をもつ講談師。3年の修業期間を経て昨年、芸の道へ本格的な一歩を踏み出した。和歌山に深く根を張りながら、受け継がれてきた話芸の魅力を人々の元へと届ける。
講談との出会い
「講談師見てきたように嘘をつき」とは、講談を語るときによく使われる言葉。釈台と呼ばれる小さな机を張り扇でパパン!と叩き、歴史上の出来事や武将の物語をリズミカルに読み上げる。
落語が会話で笑わせる芸に対して、講談は話を読む。情景や登場人物の心情を表現することで、観客の想像力をかきたてる。
講談の道を志したのは40歳を過ぎてから。妻も子どももいて、職業は県職員。人生のシナリオとして、ここまでは順風満帆だ。しかし定年まで残り約20年を切り、はたしてこのままでいいのだろうかと不安が頭をもたげてきた。
そんな折、2019年当時ブームだった講談に興味が湧き、上方講談の大名跡である旭堂南陵の一席を聴きに、大阪の寄席に出かけた。まるで眼前で繰り広げられているかのような迫真の話芸。魂を揺さぶられ、気づけば拳を握りしめていた。
さっそく大阪講談協会が主催する講談教室に通うことに。未知なる芸事の世界に心酔し、講談師として生きたいという思いが高まっていく。しかし、公務員のような安定した収入は望めない。葛藤する毎日が続いたが、最後に背中を押してくれたのは終始反対していた妻だった。「悩んでいる私の姿を見て、最終的に納得してくれました。とてもありがたかったです」
初高座の経験
21年3月、45歳で県庁を早期退職し、大阪にいる南陵のもとへ馳せ参じた。ところがそこで、前年7月に南陵が逝去していたことを知る。退路を断っての挑戦が迎えた、あまりに非情な現実。目の前が真っ暗になったが、南陵の弟子である旭堂南慶が手を差し伸べてくれ、楽屋で先輩たちの世話をする「お茶子」として下積みをすることになった。舞台袖から芸を学ぶ日々が始まった。
弟子入りを許されたのは1年後の3月3日。晴れて入門の運びとなり、その10日後には高座に上がった。
初高座の演目は、声の鍛錬や発声の基礎を学ぶための初歩的な物語。張り扇を振りかざし、順調に読み上げていたが、極度の緊張からか、突然、次の言葉が出なくなった。自分でも何が起こったのか分からず、途中で高座を降りてしまう。「文字通り絶句しました。屈辱の初高座でしたね」と苦い経験を振り返る。
創作講談に意欲
以来3年間、地道に稽古を重ね、修行期間である年季が明けた昨年3月から講談師として一本立ち。独演会「講談カフェ」をシリーズで開催するなど精力的に駆け回る。
「時代背景や登場人物などをお客さまにしっかり伝えた上で、次に次にと物語を進めるため、滑舌や間の取り方は特に大切にしています」。個性的な語り口で紡がれる物語は、講談を初めて聴く人をも瞬く間に魅了する。県立図書館ではワークショップも実施し、読書の機会が少なくなった子どもたちに朗読のコツを教えている。
「非常に勉強熱心で、お客さまの受けもよい。今後は四代目南陵が残した古典に力を入れ、大阪講談協会を引っ張っていく存在に育ってもらいたいし、それができる逸材と思っています」と師匠・南慶の期待は大きい。
今後は郷土に関する創作講談にも積極的に取り組みたいと意気込む。「あまり知られていない歴史上の人物を講談として披露したい。それが地域貢献につながればうれしいですね」
第3回講談カフェ
2月22日㊐午後2時、和歌山市狐島のルルホール。3000円。問い合わせはkyokudo.nannwa@gmail.com。
(ニュース和歌山/2026年2月7日更新)




























