絵は、江戸時代後期の熊野古道、川辺王子・中村王子(和歌山市川辺・楠本)付近の風景です。

 熊野古道は中筋日延から大きく西へ迂回し、川辺で紀の川を渡ります。それは、紀の川の流路変遷が激しく、地形環境が不安定な沖積平野を避けるためで、山口王子から南下する直線的なルートを採らず、河岸段丘面の上野をへて川辺に至ったと考えられます。

 川辺王子については諸説ありますが、後鳥羽上皇の熊野御幸(一二〇一)のころは上野の八王子社にあり、寛永年間(一六二四─四四)に力侍神社と八王子社は現在地へ移ったとする説が有力です。この絵図では現在の力侍神社がある場所に「川辺王子」と記しています。その鳥居前の小道が熊野古道です。

 中村王子については、楠本村北西の若宮八幡宮説、同村南側の楠大明神社(川永小学校付近)説などがありますが、絵図にその記載はありません。左右に走る広い道は近世の大坂街道で、左端の永穂(なんご)「一里塚」から川辺をへて、中筋日延で熊野古道と合流します。画面中央の熊野古道と大坂街道との間の「楠本社」が中村王子と思われます。

関西大学非常勤講師 額田雅裕

画=西村中和、彩色=芝田浩子

(ニュース和歌山/2023年3月25日更新)