日本はじめ、韓国、台湾など8チームで競うアジア野球選手権大会。社会人日本代表〝侍ジャパン〟を率いるのが、かつて三菱自動車岡崎の監督を務めた和歌山市出身の川口朋保さん(52)です。10月に就任後、12月3日㊐から台湾で始まる同大会が初采配。「各選手がベストを尽くし、それぞれの財産となる場にしてほしい」と期待を寄せています。

なりたい選手像

──10月に監督就任し、すぐ大会です。

 「代表チームの活動はごく短期間ですから、『鍛え上げる』時間はありません。投手をはじめとする守備力は通用すると考えています。一方、台湾、韓国には160㌔近い球を投げるピッチャーがいるため、打者には速いボールに対応できるよう準備をと伝えました」

──期待する選手は。

「全員です(笑)。10月のアジア競技大会など国際大会に出場している嘉陽宗一郎投手(トヨタ自動車)が中心。活躍を期待するのはもちろん、若いメンバーが彼から学んでもらいたい」

──目指すは金メダル。

 「出るからには、勝つことが目標。ただ、それだけでなく、選手が全力を出し、さらに超えようとのチャレンジを意識づけします。誰でも安心して発言できる環境を整え、選手、スタッフがコミュニケーションをしっかり取り、挑戦できる組織を目指す。選手には『どんな選手になりたいか』を考え、自分で解決できるようになってほしい」

持続的な成長を

──桐蔭高時代は、甲子園まであと一歩でした。

中軸を任されていた桐蔭高時代

 「3年だった89年夏に県大会決勝まで進み、最後は智辯和歌山にサヨナラ負けしました。桐蔭では、『物事は理屈じゃないんだ』が口癖の河野允生監督の存在が大きいです。よく自宅に呼ばれ、バットの出し方やスイングを見てもらい、自信になりました。厳しかったですが、温かみがあり、信頼していました」

──大学、社会人では。

 「明治大には、名物監督だった島岡吉郎さんが亡くなられた翌年に入りました。人間力に重点を置く監督で、直接指導は受けていませんが、雰囲気は残っていました。三菱自動車岡崎では現・慶応大監督の堀井哲也さんや、垣野多鶴さんらにバッティング理論を学び、お陰で現役晩年もDHとして出場できました」

──廃部の危機を乗り越えました。

 「2004年、三菱自動車の不祥事で、野球部は活動を休止し、主力10数人が他チームに移籍。岡崎製作所も閉鎖が決まりました。ただ、05年1月、一転して岡崎の存続が決定したことで、選手を集め直しました」

──そんな中、都市対抗大会に出場されました。

 「『負けると野球部が存続できなくなる』との危機感で、必死でした。東海地方の代表決定戦でトヨタ自動車に延長サヨナラ勝ちし、本大会では野村克也さんが率いたシダックスを下しました」

──社会人野球の醍醐味とは。

 「企業チームが多い社会人野球は、社を挙げての応援など日本特有の文化です。日本代表が持続的に成長できるチームとなれば、文化を継承していけます。大会で選手たちがベストを尽くした上で、個々の課題を見つけ、乗り越えることで自信を持てるようにしたい」

──最後にひと言。

 「故郷の和歌山に、自分の経験などから恩返しできるとうれしいです」

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 川口朋保=1971年、和歌山市出身。大新小、城東中から桐蔭高。明治大を経て、三菱自動車岡崎で内野手として活躍。2002年~04年にコーチ、05年~09年は監督として都市対抗に4回出場。今年10月から日本代表監督。

(ニュース和歌山/2023年12月2日更新)