和歌山を本拠地にJリーグ入りをめざすサッカーチーム「アルテリーヴォ和歌山」が動き始めた。2度の選手選考会などで決まった選手18人のうち、14人が2月11日に紀の川市の桃源郷運動公園で初練習(写真下)。5月の全国社会人選手権大会県予選に照準を合わせ、チームづくりを進めていく。(2007年2月16日号より)

 前半9分、ゴール前へ走り込んだのはガンバ大阪でのプレー経験を持つ紀の川市出身の羽畑公貴選手。パスに反応すると左足一閃(いっせん)! 次の瞬間、ゴールネットが揺れた──。アルテリーヴォの初陣はこの年の5月20日。Jリーグへ向けた戦い、キックオフの笛が鳴らされた。

選手鼓舞する横断幕

 200人以上はいただろうか。客席のない紀三井寺公園球技場、芝生のピッチを取り囲むように観客が集まった。アルテリーヴォゼネラルマネジャーの児玉佳世子さん(50)は「あの試合以前に見た県内の社会人サッカーの試合は、グラウンドの周りには両チームの控え選手がまばらにいるだけ。もう応援してくれている人がいるんだと力になりました」と振り返る。
 フェンスには手作りの横断幕が並んだ。〝Forza!Arterivo〟(頑張れアルテリーヴォ)、チームカラーの緑にちなんだ〝全緑疾走〟。制作したのは、チーム発足から8年間、県内外問わずほとんどの試合に駆けつける浜口貴司さん(42)だ。「観衆に加え報道まで入る加熱ぶりに〝Jリーグ〟という言葉のインパクトを痛感しました。〝Forza!〟の方は選手選考会を見て気持ちが高まり、手元にあった材料を使い、即興で仕上げました」
 サポーターの思いは、選手に伝わっていた。チーム草創期の守備陣をまとめ、現在は大阪体育大学浪商高校サッカー部監督を務める泉川豊弘さん(29)は「できたばかりのチームなのに応援してくれる。サポーターの熱さと本気度を感じました」。
 試合開始。センターサークルに置かれたボールの横に立ったのはエースの羽畑選手(31)と山鷲元気選手(30)。山鷲選手は「初めての公式戦、アルテリーヴォ最初の一歩目は自分が担いたくて、僕がキックオフを蹴ったのを覚えています」。試合は9─0。歴史の1ページ目は快勝で始まった。

千人の観客に感慨

初の公式戦後、サポーターにあいさつする選手たち。多くの横断幕も選手に力を与えた

 子どもたちに夢を与えられる環境をつくり、和歌山活性化のきっかけにしたい──。和歌山にプロサッカーチームをと、少年サッカー指導者や企業経営者らが話し合いを始めたのが05年。翌06年秋に発足したNPO法人「和歌山からJリーグチームをつくる会」がアルテリーヴォを立ち上げた。
 県リーグ3部からスタートしたチームは順調にカテゴリーを上げ、現在は関西リーグ1部。8年目の今年、紀三井寺陸上競技場で行ったリーグ戦3試合中2試合で観客は千人を超えた。09〜11年に監督を務めた同NPO理事の原見仁志さん(54)は「あの客席を見たときは感慨深かった。県リーグ時代の試合は多くが河川敷の土のグラウンド。サポーターが数人という試合もあったあの頃も、土手から旗を振ってくれる方がいた。当時のことを思い出しましたね」。
 Jリーグまではまだ道半ば。しかし、ゴール、そして勝利を共に喜び、敗戦を共に悔しがる〝12番目の選手たち〟は確実に増えている。

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ニュース和歌山2014年11月1日号掲載