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 「アルカダシ」。これは、僕たちが日本人と分かると、よくトルコ人から言われた言葉で、「友人・親友」を意味します。

 イラン・イラク戦争時、イランに残された邦人をトルコ政府の命を受けたトルコ航空が救出、東日本大震災の際もトルコの救助隊は外国の中では一番遅くまで残って支援を続けたと言われています。最近の話では、トルコ最大の都市イスタンブールをヨーロッパ側とアジア側に2分するボスポラス海峡に、日本の資金・技術の協力で海底鉄道トンネルが造られました。

 このような深い絆で結ばれているトルコと日本。友好関係が始まったきっかけは何だったのでしょうか。

 実は、トルコとの絆は1890年にオスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」が串本沖で遭難したときに、地元住民が乗組員を救出したことから始まっています。現在、トルコのメルシン市には、串本町大島にある「トルコ軍艦エルトゥールル号の弔魂碑」と同じものがあり、日本とトルコの友好の証にもなっています。

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 僕たちは、その弔魂碑を見に行くため、トルコ中央部にある世界遺産、カッパドキアを通過後、進路を南に切り替えました。メルシン市は車の往来の多い商業都市です。その海岸部の大きな公園内に弔魂碑がありました。さらに街を散策していると、串本姉妹都市通りというストリート(写真左)もあり、トルコと和歌山の絆を感じました。

 海岸沿いを西へ進むと、ヨーロッパに引けを取らないリゾート地が広がっていました。中でも、アナムルという小さな田舎町が気に入り、半月ほど滞在しました。ゆっくりと時が流れ、これがシンプルライフ、幸せなのかもしれないと感じました。

 そこでもキャンプ場のオーナーから食事や果物を頂き、大変お世話になりました。トルコでは、日本と共通する見返りを求めないホスピタリティーの精神「おもてなし」があります。イスラム教が理想とする精神(嘘を言わない、約束を守る、マナーが良い)を日本人が持っていたことが、エルトゥールル号遭難事件から今日に至る日本とトルコの強い絆に繋がっているのだと思います。

 トルコに後ろ髪を引かれながらも僕たちは次なるステージ、アフリカへ向かいます。

(ニュース和歌山2015年1月17日号掲載)