体験聞き取り保存活用 和歌山市立博物館 一般の協力得て調査

1945年7月9日未明、米軍のB29爆撃機が和歌山市の市街地を火の海とし、1100人を超える死者を出した和歌山大空襲。この記憶を後世につなごうと、和歌山市立博物館(同市湊本町)が空襲体験者から聞き取りを進めている。昨夏に同館主催の映画『和歌山大空襲』上映会で呼びかけ、賛同した市民の協力で調査は人数を重ねる。髙橋克伸学芸員は「調査はあと10年が勝負。和歌山を襲った最大の惨事の実態を残したい」と話している。

16070201_kushu 「どれだけお役に立てるか…」。市内にある住宅の応接室、レコーダーを前に田中圭子さん(84)が口を開く。田中さん一家はあの夜、八番丁の自宅から逃げ出した。「消防署横の壕(ごう)に入れずにいたら、旋風が起き、熱くてたまらず、お堀に降りました。そうしたら旋風で吹き飛ばされた車がお堀で水に浸かっている人の所へ飛んできて…。怖くてうつむいていて飛行機は見ていません。翌朝、兵隊さんが縄ばしごで、引き上げてくれました。旧県庁跡へは遺体が次から次へと運ばれてきました」。悪夢の光景が浮かび上がる。

 聞き取り調査は戦後70年を迎えた昨夏、髙橋学芸員が着手した。7月9日に同館で開いた映画『和歌山大空襲』上映会で呼びかけたところ、協力をかって出る市民がいた。同市の島知子さん(62)もその一人。「映画、そして母の同級生が空襲の様子を描いた『和歌山大空襲絵巻』を目にして、自分もできることをしたい、空襲を知る人の中だけにとどめてはいけないと思いました」。空襲を経験した知人を同館に紹介し、今年2月には市民団体「県戦争体験伝承者の会」の集まりに出向き、協力を依頼した。「今の平和はあたり前のものではなく、憲法の言葉で言うと、『不断の努力』あってこそ。特に若い世代に知ってほしい」と願う。

 空襲から生きのびた市内の女性Aさん(78)も取り組みを知り、出身中学の同窓会で協力を訴えた。自らを含め7人の体験者を集めた。6月16日の調査には、Aさんの紹介で、岩本冨紗子さん(78)、森澤忠昭さん(78)、山本文子さん(79)と戦後、吹上小で同級生となった3人が集まった。

 岩本さんは駿河町の実家近くの壕に入れず、京橋から川の中に逃げた。かき船近くの杭につかまり、そのまま一夜を過ごした。「知らない人が頭からぬれたむしろを被せてくれました。夜が明けると、川には遺体がいっぱい浮かんでいました。その後もずっと夢でうなされましたよ」。森澤さんは東長町の自宅から一人で飛び出し、逃げる人の群れに押し流され、秋葉山の防空壕に行き着いた。「逃げる人の足音、『お父ちゃん、あかん』『逃げろ、死ぬぞ』との声が耳に残っています。壕の中では知らない人に抱っこされたまま朝を迎えた」。山本さんは、栄谷の壕で爆撃を受けた。「中が黄色い煙でいっぱいになり、顔、手、足とやけどを負い、水路で冷やしながら田の間を逃げました。恐ろしかったので忘れられません」

 Aさんは「70年以上たち、『今話しておきたい』との思いの方が多いです。当時を生きた私も勉強になります」と語る。

 これまで20人の声を集めた。髙橋学芸員は「出来事が大きいですが、点が集まり、線になってきました。記録がほぼない紀の川北部など市街地以外の空襲、時間の差による避難路や被害の状況が見えつつあります」と話す。「当面は50人が目標。声は保存し、次の世代の活用につなげたい。空襲を覚えている方は体験を聞かせてほしい」と望んでいる。同館(073・423・0003)。

 『和歌山大空襲』上映会…9日(土)午後2時、同館。定員100人。入館料100円が必要。

(ニュース和歌山2016年7月2日号掲載)