和歌山県内の小中高校が保管する史料の調査を紀伊風土記の丘(和歌山市岩橋)が進めている。2011年の紀伊半島大水害で小学校にあった貴重な農具を失ったのが発端だが、調査する中、学校さえ顧みなかった場所から指定文化財に値する史料が次々と見つかった。その最初の成果をきょう16日(土)から同館で始まる企画展「学校にあるたからもの」で初公開する。藤森寛志学芸員は「昔は住民が貴重な物を寄贈し、学校が地域の博物館になっていた。盲点だった学校の調査が驚きの新発見につながっている」と目を輝かせる。
きっかけは紀伊半島大水害で新宮市の旧敷屋小学校に保存されていた昔の農具が水没し、ガレキとともに処分されたことだった。学校にある文化財の情報が県全体で共有されていないことを反省し、リスト化しようと調査を開始。昨年、全小中高校にアンケートを送り、今年4月から学芸員が30校以上回っている。
主に調査するのは、地域の生活道具、農具、市町村誌、校史などを保管する郷土資料室。創立100年以上の学校に多いが、昔を知る教諭の異動や退任でその意義が忘れ去られ、物置部屋と化す所も少なくない。
海南市の黒江小学校郷土資料室には漆器作りに使う道具や農具、学校の古写真が展示されている。学芸員が確認する中、1冊の古びたアルバムを発見。1946年に作られた物で、修学旅行や授業風景の写真とともに、昭和南海地震の津波による学校の浸水状況が写真を添え、細かく記されていた。阪口貴史教頭は「郷土資料室は3年生の授業で使うぐらい。こんな貴重なアルバムがあるとは知らなかった。防災教育に活用したい」と喜ぶ。
同小では、真田家や上杉家ら大名の系図の写し41点も見つかった。巻物状で、合戦の様子や江戸幕府からみた功績が記されている。紀州徳川家第15代当主、徳川頼倫が設立した南葵文庫の朱印が押されており、藤森学芸員は「博物館で展示されてもおかしくないほどの価値がある。なぜ黒江小学校にあるのかは謎」と驚きを隠さない。
このほか、和歌山市の本町小学校では県内でも数少ない大阪の有名な唐箕(とうみ=穀物選別機)屋の印が入った唐箕、名草小学校では名草地区で養蚕業があったことを裏づけるまゆの毛羽取機、御坊市の名田小学校では道成寺縁起絵巻と貴重な史料を発見した。
県指定史跡で県内最大の円墳、陵山(みささぎやま)古墳に隣接する橋本市の橋本高校では、土器の破片50点が段ボール箱に詰められた状態で見つかった。考古学専門の瀬谷今日子学芸員は「明治時代に発掘され、61年前の冊子に記録はあるが、それを最後に所在が不明だった。箱を開けた瞬間手が震えた」と驚く。
藤森学芸員は「学校は地域の歴史をピンポイントに刻んできた史料の宝庫」とし、「少子化による学校の統廃合、耐震化に伴う建て替えで全国的に郷土資料室が忘れ去られつつある。ホコリをかぶっている物に光をあてることで郷土の宝物として継承され、守られるようにしたい」と力を込める。
企画展は9月4日(日)まで。15校の宝物120点を展示。午前9時~午後4時半。月曜休館。190円、大学生90円、65歳以上と高校生以下は無料。同館(073・471・6123)。
(2016年7月16日号掲載)