和大 平田隆行准教授

 阪神・淡路大震災から1月17日で25年。和歌山大学システム工学部准教授で、建築が専門の平田隆行さん(48)はあの日、神戸市内で被災した一人だ。震災後、被災地の復興に携わり、和歌山に来てからも和歌山県が開く「紀の国防災人づくり塾」の講師や、行政の防災委員を務めるなど、地域の防災力向上に貢献する。「あの震災の教訓は、地域力の大切さ。崩れた建物から救ったのは多くが近所の人でした。コミュニティを強くしておかなければ命は守れない」。言葉に力を込める。

 

発生直後の街

 1995年1月17日午前5時46分。神戸市内の木造アパートで寝ていた平田さんは、大きな揺れで目を覚ました。幸い、建物に被害はなかった。明るくなると、遠くで火事が発生しているのが分かった。街の様子を記録するため、カメラを手に外へ出た。

 傾いた建物、全壊した家屋、燃える自宅兼店舗の前で立ち尽くす人…。「私の住む街区は被害がそれほどなく、亡くなったのは1人でしたが、わずか300㍍ほど南にある街区は建物の倒壊率が80%。風景が全く変わっていました」

 当時、神戸大学工学部4年生。震災後、同学部の各研究室や設計会社などは1軒1軒の被災状況を分担して調べた。4月、神大大学院へ進んだ平田さんも所属する研究室の一員として、調査を手伝った。修士課程から博士課程へ進み、並行して設計事務所で働き始めてからも、東灘区の復興まちづくりにかかわった。

 

復興計画 事前に

 2003年、和大に赴任した。以来、建築計画や環境システム基礎製図といった建築系の授業のほか、「自然災害と防災・減災」を受け持つ。

 学外でもその経験を伝える。県主催の「防災人づくり塾」で講師の一人として10年以上、「防災と減災のむらづくり・まちづくり」を担当する。「受講者は30、40代も多く、様々な地域の人が受けている。これから地域防災を担う人が点在しているのは頼もしい」

 また、湯浅町の防災会議委員を務め、美浜町では防災会議専門委員会委員長として、事前復興計画の作成に尽力した。「復興計画は被災した直後に考えると、良いものができない。大きな被害が出た場合を想定し、迅速に復興へ取り組めるよう、事前に考えておくことが重要です」

 

同じアングルで

 25回目の1月17日は間もなくやってくる。「7対3対0・17。倒壊した建物に閉じ込められた人がだれに助けられたかを表す数字です」。7は自力、または家族(自助)、3は地域の人(共助)。「0・17は消防や警察、自衛隊。公助はわずかでした。近所同士で助け合うのが大事なものの、近所づきあいがなおざりになっている。建築の専門家ではありますが、建物をいかに強くするかだけでは話は終わらない」

 今後、取り組みたいと思っているのが、集落アルバム運動だ。「集落ごとの卒業アルバムみたいなものを作りたいんです。まちのデータと地域の皆さんの思い出、両方があれば、事前復興にもつながるはず」

 震災後、5年に1度、1月17日に必ずしていることがある。「あの日の朝と同じ場所、同じアングルで写真を撮っています。私にとっては、ある種の儀礼のようなもの」

 今年はその年。カメラを手に、神戸の今を見つめる。

写真=震災当日午前7時半ごろ、平田さんが神戸市内で撮影。倒壊家屋からの救出作業がすでに始まっている

(ニュース和歌山/2020年1月11日更新)