友ヶ島北沖に位置する沖ノ島北方海底遺跡から引き揚げられた陶磁器類約100点が5月14日、和歌山市加太の淡嶋神社から同市立博物館に寄贈された。室町時代の日明貿易で扱われた中国製の青磁椀、壺が大半で、海から漁師が引き揚げたものを、同神社が所蔵していた。専門家は「沈んだ貿易船からの文化財自体が極めてまれ。調査が進み、和歌山市の貴重な文化財としてより知られるようになってほしい」と話している。

友ヶ島沖 明の青磁など100点〜淡嶋神社 和市博物館に寄贈

 友ヶ島4島のうち、沖ノ島北海域では、古くから数多くの陶器が地元漁師による底引き網漁業で引き揚げられてきた。この海域は、室町時代には堺と中国、江戸時代には九州と大坂、和歌山を結ぶ交易の航路にあたる。日明貿易で扱われた中国製の青磁椀や壺、江戸時代の交易品だった肥前系の陶器が多く、室町期の交易船と、江戸期の国内船一隻が沈没していると見られている。

 陶器は「海揚がり青磁」と呼ばれ珍重され、多くを淡嶋神社が所蔵してきた。引き揚げた漁師が同神社に納めてきたもので、その数は約100点。中国製青磁が半分以上あり、小皿、大皿、香炉、瓶、また国産肥前系の染付椀、茶碗も含む。中には貝が付着した褐釉四耳壺(かつゆうしじこ)や椀など長く海底にあった痕跡を留めたものもある。

 寄贈は、同神社の参詣記録などの調査研究をしていた佐藤顕学芸員に同神社から申し出があった。1997年に市教委が調査しているが、今回の寄贈は「海揚がり」と思われるものすべてで、未確認のものを含む。佐藤学芸員は「地中からの出土品のように割れて傷んでおらず、当時のままの姿が見ることができる貴重なもの」とし、「両手のひらに収まる素朴な青磁が大半ですが、中には大名でないと手にできない壺もある」と語る。

 97年の調査を担当した和歌山市和歌山城整備企画課の北野隆亮学芸員は「江戸時代から地元の漁師が見つける度に、海を守る淡嶋神社へ納めてきた、その信仰心と時の積み重ねがあってこその文化財。まとまった分量が一括してあるのに意味があります」とみる。「陶器の分類が進み、何がどれだけ扱われていたかが分かると日明貿易の実態を知る上での一つの基準ができ、学術的価値が高い。調査はこれからだが、守ってきた淡嶋さんの思いを受け止めて文化財として守り、未来に伝えてゆきたい」と望む。

 同館では近く数点を公開する計画だが、調査がまとまった段階で、合わせて同神社から寄贈のあった江戸時代の屏風や絵画などを含め、企画展を開催したい考えだ。淡嶋神社の前田智子宮司は「『海揚がり』として神社で守ってきましたが、このまま保存していると、傷んでしまうのではないかと思いました。かつては宝物殿で展示し見て頂いたこともあったようですが、専門的に調べ、より多くの人に見て頂けたら」。佐藤学芸員は「歴史のロマンが感じられます。紀淡海峡は歴史的にどういう航路だったか分かっていないことばかり。そこに光があたるきっかけになれば」と期待している。

写真上=淡嶋神社からの寄贈品を手にする佐藤学芸員、同下=貝の付着が見られる椀

(ニュース和歌山/2020年5月30日更新)