史跡顕彰保存会が御城印

 和歌山市太田地区に戦国期まで存在した太田城の御城印を太田城史跡顕彰保存会が発行し、好評を集めている(写真)。

 城ファンに人気の御城印。当初は天守のある城が登城記念に発行していたが、近年は痕跡の分からない城跡のものを、まちづくり団体などが発行し、ブームは加熱する。県では和歌山城や新宮城のほか、粉河の猿岡城などの御城印が出ている。

 太田城は、JR和歌山駅東口の東南約400㍍に位置する来迎寺、玄通寺を本丸に、南北350㍍、東西300㍍に広がった平城で、太田氏は当時、同市を治めていた雑賀衆の一角として自治を担っていた。城は1585年、羽柴秀吉軍による紀州攻めの最後のとりでとなり、城中の子女の助命を願い、太田左近宗正ら53人が自刃し開城。岡山の高松城、埼玉の忍城と並ぶ「日本三大水攻め」の戦の地として知られている。

 太田城史跡顕彰保存会はこの太田城を多くの人に知ってもらおうと、市観光協会の協力で御城印を作成した。「太田城来訪記念証」の名で、縦14・7㌢×横10・5㌢の紙に「日本三大水攻乃戦 紀伊雑賀惣国」と印字し、総光寺所蔵の「太田城水責図」を背景に、大きく「太田城」の文字と城紋をあしらった。

 2月から和歌山駅前のわかちか広場にある同協会で販売。1枚300円で、既に266枚が売れた。週末には歴史サークルのメンバーが10枚以上購入することも。

 同協会の西端孝智さんは「集めている人は遠方からでも来てくれる。雑賀孫市は知っていても太田城になじみのない人は多い。地元の人にも親しんでもらえれば」。太田城史跡顕彰保存会の川端康紀会長は「駅から少し歩けば、来迎寺や水攻めの堤防跡もある。民主的に地域を治め、勇敢に戦った人たちの歴史にふれてほしい」と望んでいる。

(ニュース和歌山/2021年4月17日更新)