10月の台風19号では東日本の多くの川から水があふれ、大きな被害が出ました。川の安全をどう守るかは昔から大きな問題です。江戸時代、水害を防ぐための工事を和歌山や関東で行ったのが海南市生まれの井澤弥惣兵衛です。どんな人だったのか、「井澤弥惣兵衛さんを知ろう会」の山添高道さんに聞きました。

 

亀の川 まっすぐに

 弥惣兵衛が生まれたのは1663年(1654年という説も)。子どものころから算数が得意で、「天狗に勉強を教わったとの言い伝えもあるんですよ」。

 8歳の時の話です。お父さんと紀三井寺まで歩いて行きました。その時、くねくねと曲がる亀の川を見て、「これでは洪水が起きるのは当たり前。流れをまっすぐにした方が良い」と提案したそうです。

 大人になった弥惣兵衛は、紀州藩の役人になり、多くの工事を担当しました。その一つが亀の川。元々は今の紀三井寺交差点近くにあった河口を、今と同じ浜の宮ビーチ近くに変え、子どものころに考えたように海までほぼまっすぐに流れるようにし、水があふれないよう堤防をつけました。また、亀の川沿いの田で使う水をためるため、亀池を造りました。このほか、紀の川沿いでも水路を整備しました。

写真上=さいたま市にある弥惣兵衛の銅像

同下=弥惣兵衛が造った亀池のすぐ近くに石碑があります

〝治水の神様〟

 こうした活躍が認められ、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗に呼ばれました。60歳の時でした。

 利根川と荒川の間に80㌔もある水路「見沼代用水」を造ったほか、鬼怒川、多摩川、大井川などでも水害が起きないよう工事を行いました。

 堤防を造るなどして洪水を防ぎ、川の水を使いやすくすることを治水と言います。弥惣兵衛は
〝治水の神様〟と呼ばれ、さいたま市にある見沼自然公園には銅像が建てられています。

 

井澤弥惣兵衛さんを知ろう会の山添高道さん

 弥惣兵衛さんが300年以上前に造った水路などは農家に引き継がれ、今も大切に使われています。今の子どもたちにも将来受け継いでほしいですし、お米づくりに必要な水を確保するのには大きな苦労があることを知ってもらいたいですね。

(ニュース和歌山/2019年11月13日更新)