日本高野連顧問・作家 佐山 和夫さん

 日本高野連顧問を務める田辺市の作家、佐山和夫さん(84)が1月、野球界発展に貢献した人を讃える殿堂に選出された。野球の変遷やメジャーリーグに関する多数の著作や、センバツ21世紀枠創設のきっかけとなる提言が評価を受けた。野球歴は「小学生のころのボールボーイ」と笑いながら、当時体感した自主性あふれるチームが野球観の根底にある。大会前に思いを語る。

日米での変遷 黒人リーグも

手にするのは、野球ボールの原型となったボール。事務所は、メジャーリーグや日本のプロ野球で活躍した選手のサインボールや、資料、写真がぎっしりで、黒人リーグにかかわるポスターまである。

 アメリカで始まった野球。元となったタウンボールが現代のスタイルに落ち着くまで、どう変遷したのか、また、日本にどう伝わり、どう広まったのかを掘り下げ、送り出してきた。特に、見過ごされがちな黒人リーグに焦点を当て、生涯2千勝以上したサチェル・ペイジを描いた『史上最高の投手はだれか』は作家活動の原点だ。

 また、ボールカウントの呼び順が日本とアメリカで違うことに着目。高校選抜のアメリカ遠征に同行した際、分かっていても試合で戸惑う選手を目の当たりにし、国際野球連盟に問い合わせる。「ストライク、ボールの順にコールするのは、日本以外に知りません」との回答に驚いた。

 「世界標準にしないと、国際大会で困る」と、変更を提言。当初はまったく相手にされなかったが、熱意が伝わり1997年センバツから変更。その後、プロ野球も追随した。

 「言い出してから変更まで13年かかりました」と振り返り、「野球を通じた国際交流の障壁を一つ取り除けた」と安堵した。

原点は自主性あふれるチーム

 佐山さんの野球原体験は小学3〜4年のころ。当時、和歌山中学(現・桐蔭高校)の敷地内にあった官舎に住み、小学校から帰ると野球部へ足を運んでは、ボール拾いに明け暮れた。

 和中には、東京六大学に進んだOBらがしばしば顔を出し、最先端の戦術や守備シフトを伝授。チームはすぐに吸収し、試合になると相手をかき回す。練習時間は短くても情報を取り入れ実践するチームと、猛練習にもかかわらず簡単にやられてしまうチームの姿が目に焼き付いた。

 「子ども心に、『野球は単に投げて打ってじゃない。頭を使ってする競技』と理解していました」
 さらに、印象的だったのは、上級生が顔をつき合わせ練習メニューを決めていたこと。「みんなで伸びるため、考え実践することで、自主性、積極性が育まれる。間近で見ていたので、『やらされる野球は嫌だなぁ』と思ってました」

21世紀に向け自らの信条提言

 こんな体験から、高野連から提言を求められた際、勝利至上主義や長時間の猛練習に疑問を呈し、自ら信条とする、野球を通した地域貢献や交流の大切さを説いた。それが21世紀枠へと結びついてゆく。

 大会に当たり、選手たちには、「和歌山で最も美しくフェアな野球を」と呼びかける。試合は勝つか負けるかだが、「フェアなゲームには上限がない。それがスポーツマンシップ」ときっぱり。逆に、「勝つためにルールすれすれでプレーするのがゲームズマンシップ。こんな野球は本当に楽しいのでしょうか」。

 また、指導者に対しては、勝ち負けでの一喜一憂を戒める。「試合で選手の成功や失敗を見逃さず、ほめたり助言したりが大切。『教育する』という『エデュケイト』には『引き出す』との意味がある。選手が持つ力をよく観察し、引っ張り出して欲しい」と願う。

 野球の奥深さに魅了され、掘り下げ、伝える。その姿勢は、微塵もぶれない。

(ニュース和歌山/2021年7月3日更新)