城内にどのような建物があったでしょうか、と尋ねられれば、天守や櫓、そして城門はすぐ思いつくでしょう。番所や蔵も思いつくかも知れません。しかし、それ以外となれば考え込んでしまうのではないでしょうか。

 お城と言えば、軍事的な建物が多く語られますが、二ノ丸には、政庁としての「表」、領主が生活を営む「中奥」、側室や奥女中の生活場の「大奥」が並ぶ御殿があり、本丸御殿には「台所」や「料理の間」などがありました。そこで、生活面の建物を幕末に描かれた「和歌山御城内惣御絵図」(県立図書館蔵)から探してみましょう。

 一ノ橋大手門をくぐると東側に番所が控えていました。その前を直進して一中門の手前まで来ると「供溜(ともだま)り」の建物があり、お供はこの控え所で主(あるじ)の帰りを待ったのでしょう。馬や籠に乗って登城した客人または主は、一中門をくぐり、すぐ東側の番所に並ぶ「厩(うまや)」や「籠置場」で足を止め、「下洗場」で足を洗い、さらに近く(蔵ノ丸の中程)の井戸で、手や汗を拭いたのち二ノ丸御殿の表向きに出向いたことが、これらの建物から想像できます。井戸はさらに前(南)方の岡中門手前にあった番所の脇にも描かれています。

 裏坂に通じる出入り口が台所門です。その外側の南隅の広場(写真)には「番屋」と「小(お)買物方」、西隣りに「小使い部屋」の建物が並んでいました。二ノ丸御殿の「中奥」近くに当たる所から日々の雑用にいそしむ人々の詰所と思われ、当時の人の動きが感じられる広場です。

 城内には番所が約10ヵ所、蔵が約20ヵ所数えますが、本丸御殿「調理の間」の近くに「肴(さかな)蔵」と書かれた文字が見えます。食材などを小買物方がそろえ、小使い方が裏坂を登って運んだのでしょうか。

 お城は攻め難くするため、登りにくい坂道を造ります。台所門を起点にこの急坂を往復すれば、その当時、荷を運ぶ役割を担った人々の苦労が伝わってきます。

写真=番屋など3棟あった台所門脇の広場

(ニュース和歌山/2018年12月1日更新)