今では想像もつきませんが、「かつて和歌浦に日本で一番古いエレベーターがあったらしいですが、本当ですか?」との質問が和歌山市の大岩江美子さんから届きました。

 調べてみると、写真にもあるように、明治時代の和歌浦には確かにエレベーターが存在し、かの有名な文豪も乗ったそうです。

 どのような理由で設置され、なぜ跡形もなく消えてしまったのか、当時の和歌浦の歴史に詳しい梶川哲司さんに聞きました。

 


 

鉄製の屋外用では日本初

 「かつて和歌浦に日本で一番古いエレベーターがあったらしいですが、本当ですか?」。梶川哲司さんによると、「確かに明治時代、和歌浦の奠供山(てんぐやま)に日本初となる観光のための屋外用鉄製エレベーターがありました。明光臺(めいこうだい)と呼ばれ、高さは200尺(60㍍)で、当時、東洋で一番高いエレベーターでした」。

 風光明びな和歌浦を一望でき、文明開化の象徴として1910(明治43)年10月、和歌浦にあった旅館、望海楼の主人が建設しました。明治の文豪、夏目漱石も和歌山市での講演の際に訪れ、後に小説『行人』の中で、「所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた」と主人公に語らせています。

 しかし、開業からわずか6年後の1916(大正5)年、思っていたほど乗客が伸びず、撤去されることに。欧州戦乱の影響で鉄材が高値で取り引きされた時期で、エレベーターは解体されて、主に造船所に売られ、船に生まれ変わったそうです。

(ニュース和歌山/2020年4月18日更新)