何気なく通り過ぎる風景に、「これは何?」と思うことがあります。読者の疑問を調べる謎解き代行社。今回は和歌山市の70代男性らから寄せられた「新町橋たもとの小さな公園にある胸像は誰?」です。

 けやき大通りをJR和歌山駅から西へ約1㌔、和歌川にかかる新町橋南東の公園に胸像があります。銘板には「岡崎晩香翁之像」の文字。しかも、「佐藤栄作・書」とかつての総理大臣が文字を書いたようです。この岡崎晩香氏、一体何者で、なぜここに像があるのでしょうか。

  公園の中、木々に囲まれた胸像

政治家で実業家 岡崎邦輔翁の像

 「新町橋たもとにある胸像は誰?」。公園に行くと、台座に「岡崎晩香翁之像」。ほかに、「胸像発起人」の銘板もあり、「池田勇人」「佐藤栄作」と総理大臣を始め、当時の名士が並んでいます。

 「晩香」は「号」で、本名は「邦輔」。江戸末期に和歌山で生まれ、いとこの陸奥宗光を補佐し、自らも政治家として農林大臣や、政友会党首を務めました。また、実業家として京阪電鉄社長を務め、紀勢鉄道(紀勢本線)敷設に尽力したと刻まれています。

 しかし、台座には建立年月日は書かれておらず、数㍍離れた「銅像寄贈者」の石板(写真)にもありません。

 寄贈者に名前がある野間良美・本町地区連合自治会長は「ぶらくり丁界隈の飲食店や遊技場の経営者が多い。ほとんど他界されています」としながら、「私は築地一番というパチンコ店で働いており、社長の名前もありますから、寄付を頼まれたのでしょう」と詳しくは分からないとのこと。

 公園を管理する和歌山市役所は「なぜ、ここに像があるのかとたまに聞かれますが、詳細は不明です」。近隣住民は、「1970年ごろまで、ここには住宅会社があり、公園ができたのは、その後。それまで建物があった」と教えてくれました。

 ただ、胸像と寄贈者石板は、石の状態から設置時期が異なるように見えます。胸像台座に、(59年開通の)紀勢鉄道の完成前に他界とあり、胸像銘板にある池田勇人氏は65年に亡くなられていますから、60年~65年ごろの建立と考えられます。

 一方、石板は比較的新しく見えます。70年以降に公園が整備され、胸像を移設した時に設置したのかも知れませんね。

(ニュース和歌山/2023年12月2日更新)