城南 防備の要 ⑲蓮心寺

 上の絵は、寺町にある蓮心寺の約200年前の境内風景です。

 同寺は、日蓮宗の寺院で、慶長14年(1609)、徳川頼宣の母お万の方(養珠院)が駿府(静岡市)に創建したのが始まりです。元和5年(1619)、頼宣の紀州入国に従って駿府から現在地へ移転してきました。  寺町は、和歌道(現在の国道42号)から東へ入る横町で、当初、城下町南限の防備のために配置されました。その後、南側に新吹上武家屋敷地が拡張されたため、武家屋敷地の真ん中に位置することになりました。

 蓮心寺は、寺町の西端、和歌道と寺町通りとの交差点の南東角に立地しています。その境内は周囲が約530㍍と、寺町の中でも大智寺、護念寺に次いで3番目に大きなお寺です。

 蓮心寺の伽藍は、「本堂」を中心に「白書院」「黒書院」「いはい堂」「釈迦堂」などが配置されています。和歌道沿いには「鐘楼」「祖師堂」「番神堂」「うら門」があり、寺町通りに面して「表門」があります。また境内北側の寺町沿いに「本成院」「瑞雲院」「法雲坊」「大圓坊」、南側に「大立院」「玉林坊」「玉泉坊」の子院7坊がみえます。本堂東側の庭園は珍しい樹木が多く、山地を背景に四季折々の景色が眺められました。

 寺町通りを挟んだ北向いには蓮心寺と同じ日蓮宗の妙法寺と本光寺、東隣には曹洞宗の法泉寺があります。絵図右下の和歌道沿いには、家老の三浦家下屋敷の土塀の一部がみえています。(和歌山市立博物館総括学芸員 額田雅裕)

画=西村中和、彩色=芝田浩子

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 江戸時代の地誌書「紀伊国名所図会」の絵に色をつけ、当時の暮らしを解説する『城下町の風景』の第2弾。次回は1月14日号に掲載します。

(ニュース和歌山2014年12月10日号掲載)