今回は、和歌山の地名に関する質問を和歌山市の男性(72)から頂きました。「半世紀前とほぼ同じ光景を留めている車坂。その名前の由来は何ですか?」です。 車坂は、和歌山市吹上。桐蔭高校の北にある坂道で、車一台がやっと通れるほどの道幅です。道に木々が差し掛かり、昼間でも少し薄暗い場所です。

 地酒の名前にも使われる「車坂」ですが、果たしてその名の由来は? 和歌山市立博物館元館長の額田雅裕さんに教えて頂きました。

写真=昔と変わらぬ雰囲気が残る車坂

 


 

2説あり 背景に熊野

 「車坂の名前の由来は?」。和歌山市立博物館元館長の額田雅裕さんに尋ねました。

 大きくは2説あります。一つは、上皇による熊野詣で、熊野御幸の輿車(こしぐるま)がよく通った道ゆえ、もう一つは中世から伝承された「小栗判官」にかかわる説です。毒殺され、地獄に落ちた小栗判官が餓鬼阿弥の姿で現世に返され、木車に乗せられて熊野に向かい、その湯で蘇生したとの伝承で、小栗判官を乗せた木車が通った道との説です。しかし、「いずれもはっきりとは分かりません」と額田さん。

 ただ、江戸期以前の道がポイントです。寺町通りは大正期まで、現在のように東西に突き抜けておらず、東端の吹上砂丘の上には大智寺がありました。額田さんは「現在の国道42号にあたる付近の古道から、熊野を目指すため、寺町から車坂に入りました。そこから原見坂を通り、現在の和歌川を渡って紀三井寺から熊野へ向かうルートをとったのではないでしょうか」と話します。

 2説の確証はないものの、「このルートから車坂は名のいわれが、いずれも熊野とつながっているとみていいのでは」と考えます。

(ニュース和歌山/2021年4月24日更新)