絵は、江戸時代後期の熊野古道、山口王子(和歌山市湯屋谷)付近の風景です。

 絵図中央の山口王子は、熊野古道が和泉山脈の雄ノ山峠を越え、和歌山平野に出たところに位置します。同峠は、熊野古道(近世の大坂街道)だけではなく、現在のJR阪和線、阪和自動車道が通る大阪─和歌山間の交通の要衝にあたります。

 和泉山脈南麓には雄山川などが形成した支流性の河岸段丘が発達し、段丘面には「谷村」「黒谷村」などの集落が立地します。

 山口王子は熊野古道の西側に位置し、東側には「小町堂」がありました。そこには現在、小町堂跡の碑が建っています。小野小町が熊野参詣に来て、ここで亡くなったかどうかは分かりませんが、山口地区は大勢の人々を迎え入れた和歌山の玄関口でした。

 このほか、谷村の「山王」(現在の山口神社)と「法龍寺」、黒谷村の「祇園寺」、湯屋谷村の「白鳥明神」などの寺社がえがかれています。谷村には七世紀(白鳳期)、南海道(県道粉河加太線付近)の北側に山口廃寺が建立されましたが、すぐに廃絶し、その姿は絵図にありません。

関西大学非常勤講師 額田雅裕

画=西村中和、彩色=芝田浩子

(ニュース和歌山/2023年2月25日更新)