絵は、江戸時代後期の満願寺(和歌山市寺内)付近の風景です。

 満願寺は、標高約十五㍍の高台にある高野山真言宗の寺院で、本尊は十一面観音菩薩です。弘仁三(八一二)年、空海が創建し、一条天皇の時に勅願寺となり、天治二(一一二五)年、鳥羽天皇が熊野参詣の帰路に立ち寄ったといいます。同天皇は退位後、上皇となった二十八年間に二十一回も熊野へ詣でています。

 ここには鎌倉時代の絹本著色鳥羽天皇像(重要文化財、京都国立博物館寄託)が伝来し、皇室との深いつながりがうかがえます。そのため、熊野古道沿いにありませんが、建仁元(一二〇一)年、 後鳥羽上皇の熊野参詣では藤原定家が和佐井ノ口で上皇らと別れ、日前宮と満願寺へ代参しています。その後、彼らは奈久知王子で合流しました。

 山門前の道は、初代紀州藩主徳川頼宜が龍神温泉へ向かうため開いた龍神街道で、熊野古道とは和歌山市口須佐で交差します。

 満願寺は、二〇一二年の火災で全焼し、伽藍の大半を焼失してしまったこと、まことに残念でなりません。

関西大学非常勤講師 額田雅裕

画=西村中和、彩色=芝田浩子

(ニュース和歌山/2023年5月13日更新)