絵は、江戸時代後期の黒江(海南市黒江)の職人町をえがいた風景です。

 和歌山城下から熊野へは和歌川の大橋から紀三井寺、黒江を経由して藤白神社まで近世熊野街道を通って行きました。

 黒江は日方湾北岸の在町で、黒江塗という木地に柿渋を塗った渋地椀の製作が盛んでした。町並みは南北に三列あり、港まで水路があった川端通りに問屋が建ち並び、その背後に職人の家が軒を連ねていました。

 絵図には木地椀の製作工程がえがかれています。左上の家は木地屋で、木をノミなどで削り、中央の家では一人がロクロの軸に綱を巻き強く引いて回転させ、一人が回る椀の木地をカンナで削っています。右端の家では、椀に下地を塗り、屋根の上で乾かしています。そのあと、塗師屋は椀に漆を上塗りし、むろで乾燥させて仕上げます。渋地椀は粗末な日用雑器ですが、黒江は関西から西国・四国や関東に販路を広げ一大産地となりました。

 町中では初鰹のふりうり商人や門付芸人のもとへキセルをくわえた職人や赤ん坊を背負った子守たちが集まり賑やかな様子が伝わってきます。

 

画=西村中和、彩色=芝田浩子

(関西大学非常勤講師 額田雅裕)

(ニュース和歌山/2023年8月12日更新)