熊野古道は、宮原南村(有田市宮原町新町)から船で有田川を渡ると、南岸の中番村(同市糸我町中番)に着きます。同村には糸我王子がありましたが、明治四〇(一九〇七)年、西・中番・須谷の産土神、糸我稲荷神社に合祀されました。その跡地には「糸我王子社跡」の石碑が建っています。

 糸我王子跡から七曲りの急峻な糸我坂を登りきると糸我峠(一六七㍍)に達します。峠には東西に二軒の茶屋がありました。

 絵は、江戸時代後期、糸我峠の茶屋で休憩する人たちで賑わっています。急な坂道を登ってきて暑かったのでしょう。武士や女性、お坊さんたちは扇子や団扇であおぎ、なかには上半身はだかになって汗を拭う人もいます。それを咎める人もいない、おおらかな時代だったんですね。

 茶屋では真夏に前年から蓄えていた名産のみかんを売っていました。香りと味がよく、熊野古道を行く人たちを驚かせたといいます。「金掌玉露にも勝る」って、どんな味でしょうか。きっと、のどの渇きをよく潤したのでしょう。冷蔵設備のない時代、今の蔵出しみかんより遅い時期まで、どうやって保管したのかな。

画=岩瀬広隆、彩色=芝田浩子

(関西大学非常勤講師 額田雅裕)

(ニュース和歌山/2024年1月13日更新)