糸我峠(一六七㍍)を越えると、山田川支流の逆川が西から東へ流れ、その北岸に逆川王子跡(湯浅町吉川)があります。有田郡内の河川はほとんどが紀伊水道に向かって西流するのに対して、この河川は東流するので逆川といい、王子名の由来になっています。

 逆川王子は、吉川の産土神でしたが、明治期に国津神社(同町田)に合祀されました。しかし、昭和十二(一九三七)年に元の位置に逆川神社として再建されています。

 江戸時代の熊野古道は、そこから逆川を渡って南へ進み、秋葉山と広保山(一〇七㍍)の間の低い方寸峠(方津戸峠)を越えて湯浅の町へ向かいます。逆川に沿って、広保山東側の低地を通るルートも考えられますが、熊野古道は直線的に峠を越えています。

 図は、江戸時代後期に方寸峠から湯浅方面を眺めた風景です。眼下には西流する山田川に沿って熊野古道が走り、湯浅へ向かう人たちが列をなしています。湯浅湾には多くの船が寄港し、沿岸には湯浅と広の町並がひろがっています。背景には熊野古道が鹿ヶ瀬峠越えの特に険しい山道となる白馬山脈が東西に連なっています。

画=岩瀬広隆、彩色=芝田浩子

(関西大学非常勤講師 額田雅裕)

(ニュース和歌山/2024年1月27日更新)