絵は、江戸時代後期の男山陶器場の風景です。そこには陶磁器の製作工程ごとの建物が所狭しに建っています。

 絵図左下には原土を保管する「土納屋」、その上に「土ヲコス所」、その横に土を乾燥させる「土ヲ干」場、その右に「土ヲ水ヒスル」場があります。※水ヒ(水簸)=水でふるいにかけること。水篩。

 絵図右中央には素焼きの「スヤキガマ」があり、職人が半製品を肩に担いで出入りしています。その下には製品に絵付けをする「陶器画の場所」の施設があります。右上には常駐する紀州藩の役人三人が見回りをしているようです。

 絵図中央には男山の南斜面を利用した「本カマ」があります。それは袋という焚口が十四ある本格的な連房式登窯で、全長四十㍍以上ありました。左下の焚口前には薪が山積みされ、煙がもうもうと上がっています。

 このように、絵図には陶土作り、陶器の成形、素焼き、絵付、本窯焚きなど南紀男山焼の製作工程がえがき込まれています。

 十九世紀中ごろ、男山陶器場では分業と協業による陶磁器の生産が行われていたことがわかります。

画=岩瀬広隆、彩色=芝田浩子

(関西大学非常勤講師 額田雅裕)

(ニュース和歌山/2024年3月9日更新)