興国寺(日髙郡由良町門前)は、鎌倉幕府の三代将軍源実朝(一二一九年没)の菩提を弔うため、安貞元(一二二七)年に建てられた寺院です。同寺は、はじめ西方寺といい真言宗でしたが、法燈国師(一二〇七~九八)が宗派を臨済宗に改宗し、興国元(一三四〇)年に寺号を興国寺とあらためました。

 法燈国師は、宋(中国)の径山寺などで六年間修業するとともに、金山寺味噌の製法を習得して帰り、わが国に伝えました。その製造過程でできた液体から醤油が造られ、ここから日本各地に広まったという説が有力です。

 絵は、大門を除いた興国寺伽藍の全景です。伽藍は秀吉の紀州攻めでほぼ全焼し、慶長六(一六〇一)年、浅野幸長によって再建されたものです。大門をくぐり石畳の坂を登ると、絵図左端の「竜王祠」に至ります。洗心池に架かる「廣渡橋」を渡り、急な石段をあがると「山門」の正面に「本堂」、その後ろに禅堂と開山堂、右に「書院」と「庫裏」、左に「浴室」と「鐘楼」などを配しています。

 背後には「後鳥羽帝陵」や「実朝公墓」、その母北条政子の「尼将軍墓」などがえがかれています。

画=岩瀬広隆、彩色=芝田浩子

(関西大学非常勤講師 額田雅裕)

(ニュース和歌山/2024年4月27日更新)