和歌山市 乾理代さん 20年の時越え 体験語る

 和歌山市の乾理代さん(43)は1995年1月17日、震度7を記録した神戸市中央区で1人暮らしをしていた。地震が襲った瞬間の恐怖、変わり果てた神戸の姿─。20年間、心の底に押し込め、思い出したくなかった被災体験を17日(土)、和歌山市北中島の宮前小学校で開かれる防災教室「1・17 阪神淡路大震災からの教訓」で初めて話す。これまで向き合えなかった被災体験を今、未来へ語り継ぐ。

震度7の激震

 午前5時46分。ゴーッと地の底から響くすさまじい轟音(ごうおん)で目が覚めた。意識がもうろうとする中、突然下から突き上げるような激震が襲った。プツッと音を立て電気が停止し、直後に立っていられないほどの強烈な横揺れが襲った。ベッドの柵にしがみつきながら「やめてー、助けて、早く止まって!」と必死に叫んだ。部屋の中、外からもバリバリ、ガシャンガシャンと家具が倒れ、建物が崩壊する激しい音が鳴った。

 テレビや冷蔵庫、食器棚がなぎ倒され、部屋にはガラスの破片や食器が散乱。真っ暗闇の中、手探りで玄関まではって脱出した。空が異様に赤黒かった。土臭い匂いと鳴り響くサイレン。警察署に置かれていたバスの中へ一時避難した。午前7時半、明るくなり外へ出ると、そこにいつもの神戸はなかった。全壊した家屋に傾いたビル、でこぼこの道路。「何もかもがぐちゃぐちゃだった」

命守れる力を

20150117_inui 「今でもあの光景を思い出すと涙が出る」。地震発生後、1週間は食事がとれず、布団にくるまっていた。20年間、少しの揺れにも過敏になり、恐怖感に襲われてきた。被災体験を家族以外に話さず、記憶を自分の中で消そうとしていた。

 そんな体験と向き合い、乗り越えようと思い始めたのは、2年前に学習塾の手伝いを始め、さらに昨年3月に粟子どもクラブ・粟母親クラブの会長に就き、子どもとふれあう機会が増えてからだ。地域と関わる中で、和歌山の防災意識の低さが気になった。「被災していない人は地震の恐怖を知らない。子どもたちを守るために、怖さを知っている自分が語っていかないと」。子どもを見守る立場になり、意識が変わった。昨年10月に粟自治会館で防災教室を企画、講師を呼び、子どもとともに災害への備えを学んだ。

 17日は、NPO「震災から命を守る会」主催の防災教室で被災体験を語る。依頼された時、思い出しただけで号泣してしまい、一度は断ったが、同会の防災への熱意に共感し、話を受けた。「あの記憶を風化させず、伝えたい。和歌山で1人でも多くの人に自分の命を守れる力をつけてほしい」。震災から20年。乾さんの時間が動き始めようとしている。

写真=小学生の長女に防災ベストを手作りした乾さん

 

1月17日 防災教室

 災害に強いまちづくりを目指すNPO「震災から命を守る会」が、2012年から毎年1月17日、園児対象に開く防災教室「1・17 阪神淡路大震災からの教訓」。震災を体験した同会創設者の思いを引き継ぎ、理事長の臼井康浩さんが「大地震が発生する可能性の高い和歌山でこそ」と始めた。ガレキに見立てた卵の殻の上を裸足で歩かせて靴の準備の大切さを伝えるほか、就寝中の避難や緊急時に大声で周りに知らせる方法を体験させる。

 臼井さんがこの教室や大人向けの防災セミナーで強調するのは、家具の転倒防止対策。内閣府の調査によると阪神・淡路大震災の死因は約8割が家屋の崩壊、家具の転倒による圧死だった。県も家具の固定を呼びかけており、昨年8月に家具等固定施工事業者登録制度を設け、事業者を公表したが、利用したのは1世帯のみ。臼井さんは「あれから20年、震災の教訓を和歌山では生かしきれていない。『本気で自分の命を守れますか?』と問いたい」と警鐘を鳴らす。

 17日の宮前小学校での防災教室は午前9時半〜11時半。防災体験後、乾さんが被災体験を、同市保健所の渡邊喬さんが動物から学ぶ命の大切さを話す。一般参加可。申し込み不要。

(ニュース和歌山2015年1月17日号掲載)