レスキューロボに思い込め
 和大 徳田献一助教 故郷襲った災害機に研究

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 災害時に活躍するレスキューロボット。その開発に取り組む研究者が、和歌山大学システム工学部にいる。助教の徳田献一さん(47、写真)は、がれきや土砂の中にいる人を探し出すためのセンサーを備えたロボットを移動させる技術を研究テーマとする。この道を決意したきっかけは20年前のきょう1月17日、ふるさと神戸を襲った阪神・淡路大震災だった──。

 地震発生から約17時間。遠くに見えたふるさと神戸市長田区の空は、夜の11時にもかかわらず真っ赤だった。

 愛媛県に生まれ、2歳で長田区へ移った。震災当時は生駒市にある奈良先端科学技術大学院大学修士課程2年で、大学の寮で暮らしていた。あの日の午前11時ごろ、大学で見ていたテレビに、火事の煙に覆われる実家付近が映し出された。電車が止まっていたため、芦屋市に住む指導教官の車に同乗。途中、宝塚で全壊した家屋を自分の目で初めて見た時は「食べたものを全部戻すような気分でした」。午後8時ごろ、指導教官の家族が避難する小学校に到着。暗闇に慣れてきた目には、運び込まれた遺体が飛び込んできた。

 長田区に着いたのは11時ごろ。実家前までの道は崩れ落ちた同級生の家などでふさがれていた。実家も全壊だったが、幸い父母は無事だった。すぐ裏の子どもをはじめ、近所の人が亡くなったことを聞かされた。

 震災後、ロボットによる救助について専門家の間で議論されるようになった。徳田さんも加わった日本機械学会の専門研究会は震災時に人命救助に携わった人に聞き取り調査を実施。「鉄腕アトムのような力持ちのロボットが必要なのかとの思いもあったが、求められたのはケガ人を掘り出して運ぶ技術ではなく、がれきの中から見つけ出す技術でした」。研究していたのがロボットの移動方法だったことから、人を探すカメラやレーダーを運ぶための装置を追究しようと決意した。

 2001年から神戸大学、04年からは和大で教壇に立ちながら研究を継続。がれきの上を4本の足で歩くロボットの開発に取り組んできた。2年前からは台風の多い和歌山県の問題として、ぬかるんだ土砂の上でも活躍できるロボットをメーンに研究する。

 一方、救助技術を6分の1サイズのロボットで競う「レスキューロボットコンテスト」の運営に00年から携わる。大学生らの技術向上だけでなく、防災・減災の啓発が目的だ。5年ほどが経過したころ、参加者に変化が出始めた。担架に乗せた後、患者に毛布を掛けたり、「大丈夫ですよ」と声を掛けたりする機能を付ける学生が出てきた。「審査対象は救助の速さや正確さで、毛布や声掛けは得点にならない。でも、学生たちが被災者の立場で考えるようになってきたんです」と目を細める。

 「災害の備えへの啓発は難しく、工夫が必要。火事が起こる、真っ暗で何も見えなくなる、冠水し道と溝が分からなくなる…。そんな状況を自分の問題として考えるきっかけにロボットがなれば」。レスキューロボが万が一の際の安心につながってほしい、そして常日頃の備えにも役立ってほしいと願っている。

 

神戸市の米田定蔵さん 衝撃伝える写真展

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 神戸市のカメラマン、米田定蔵さん(82)が阪神・淡路大震災の記録を伝える写真展「大地のエネルギー」を26日(月)まで和歌山市十一番丁のギャラリーTENで開いている。震災当日と翌日に撮影したモノクロ写真のほか、復興後の建造物を撮った約30枚を展示。傾いた阪神高速道路や半壊した三宮の商業施設など震災の衝撃を伝える。午前11時~午後6時(最終日5時)。火曜休み。同ギャラリー(073・432・5600)。

(ニュース和歌山2015年1月17日号掲載)