雑草が伸び、荒涼とした平地が広がる。遠くを望むと浜辺に松が数本、その先に太平洋──。昨年末、和歌山市青年団体協議会のメンバーと訪ねた宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区の風景です。ここはかつて、住宅や商店が密集していました。

 同協議会は、東日本大震災を忘れず、南海トラフ地震への備えに生かそうと、毎年、東北を訪れています。今回初めて訪問した閖上地区は名取川河口にある港町。震災で住民約7000人の1割が亡くなりました。

 地区には、「閖上の記憶」という施設があります。地区で亡くなった中学生14人のために建てられた慰霊碑の社務所として造られました。語り部が常駐し、震災のことを教えてくれます。

 建物に入ると、紙粘土で作られたジオラマがあります。「震災前の閖上」「震災の記憶」「未来の閖上」をテーマに震災から約半年後、芸術家の指導で子どもたちが作ったそうです。中でも「震災の記憶」は、ブルーシートに包まれた遺体、津波に流される人と助けようとする人など、故郷で起きた凄惨(せいさん)な光景を表現しています。

 語り部の上條幸恵さんは「辛い経験をだれにも話さず抱え込んだまま生きていくのは大変。勇気を出して形にすることで気持ちの整理が進みます。過去の記憶に支配されないよう、言葉ではなく指先で表しました」。

 施設内にはバレーボールや楽器などの遺品と、家族の思い出や亡くなった生徒の夢をつづったカードが展示され、外には14人の名前が刻まれた慰霊碑があります。「ぜひさわってあげてください。たくさんの人にふれてもらうと、冷たい石が温かくなり、刻まれた文字の角も丸くなって、優しい印象になります」と上條さん。手を合わせ、一人ひとりの名前にふれていきます。会ったこともないのに、なぞり進めるうち、あの日のことや、子どもたちの姿が心に浮かび、涙がこみ上げてきました。

 慰霊碑に眠る14人は私たちに何を語りかけたのでしょうか。津波にのみ込まれ、夢を絶たれた無念、残された家族の幸せ…。刻まれた文字を通じ、それぞれの思いが伝わってきました。

 震災から7年。東北へ向かう人は減りましたが、被災地でしか得られない経験がきっとあります。「生き残った私達に出来る事を考えます」。慰霊碑の隣の机に書かれた同級生のメッセージ。この言葉を胸に3月11日を迎えたいと思います。 (林)

(ニュース和歌山/2018年2月24日更新)