東京五輪の聖火ランナーとして県内を走る45人の中に有田市の上野山馨さん(94、写真)の名前を見つけました。上野山さんは日本最高齢のフルマラソンランナーとして、知る人ぞ知る方です。

 45歳でマラソンを始め、60歳で42・195㌔を走破。80代まで各地で100㌔マラソンに挑戦してきました。最近はどの大会へ行っても撮影や握手を求められ、「元気をもらいたい」といきなり抱きつかれることもあるそうです。

 普段の練習は超人的です。毎日3時間は走り、かつて自転車で付き添ってくれた亡き妻の墓参も日課です。家では左右の足に各1・5㌔の重しをつけ、毎日6千回のももあげをします。昼は先祖から受け継ぐ300坪のミカン畑で忙しく働き、収穫、出荷、荷積みと一人でこなします。

 「健康の秘けつは人とふれあうこと。特に若い人の考えにふれることを大切にしています」と上野山さん。「人生100歳時代。自分の元気が多くの人の励みになれば」と聖火ランに意欲充分です。

 上野山さんが聖火ランナーに応募したのは、聖火が東京の国立競技場へ向かうと知ったからです。その前身は明治神宮外苑競技場。1943年10月に出陣学徒壮行会が開かれた場所です。徴兵猶予を解かれた学生たちが雨の中を行進する映像は、戦局が悲壮感を漂わせ始める歴史の一幕です。上野山さんは学生の一人として行進の中にいました。

 召集がかかったのは1945年8月。入隊日は15日でした。東京から前日に和歌山に戻り、連隊へ向かいます。「臥薪嘗胆。必ず我々は立ち上がる。それまでは休暇だ」と告げられ、敗戦を知りました。

 時代は大きく変わっても上野山さんは戦死した仲間を忘れたことはありません。「一億一心。国のためと多くの若者がかけがえのない人生を捧げた。彼らを思うと、かわいそうというか、申し訳ないというか…。『あいつらは今の自分たちをどう思うだろう』と正直複雑です」と語り、「聖火があの場所へ向かうと思うと、応募せずにおれませんでした」と胸の内を明かします。

 聖火は国内各地を巡ります。上野山さんの場合、人から人へ横につなぐだけでなく、日本が歩んだ歴史の縦軸を走ると言っていいでしょう。戦後75年でもある今年、その走りから私たちの歩み、行方を見すえたいです。 (髙垣善信・本紙主筆)

(ニュース和歌山/2020年2月1日更新)