選挙権を持つ年齢を18歳以上とする公職選挙法改正案が国会で成立される見通しです。来年の参院選から18歳以上の投票となる可能性も出てきました。首相が言及した「改憲国民投票」はまだ与党が描く段階ですが、こちらも法的には2016年6月から18歳以上が投票年齢となります。投票で意思表示できる年齢が18歳になるのです。

 新聞には、若者に政策と自分たちのかかわりを学んでもらう選挙教育が必要という専門家の意見がありました。この見解には疑問です。選挙教育を受けねばならないのは、他ならぬ私たち大人だと思うからです。

 その理由は、昨今、どの選挙にもみられる低投票率です。この投票率の低さについて立候補者が「有権者に関心を持ってもらえなかった」とお詫びのようなコメントをしますが、低投票率の責任ははっきり有権者です。和歌山の首長選挙をみても、街の未来への無関心を感じます。憲法の改正国民投票が行われれば、それは国民が国の形を決める投票になります。賛成でも反対でも国民には決断が必要です。それを「重い」と感じるかもしれません。しかし、いかなる投票、選挙でも重みは同じです。そのことを私たちは今、肝に銘じる時期にいます。

 もう一つ考えたいのは、選挙の投票結果について「勝てば官軍」的な見方が政治家の側にみられることです。「選挙に勝てば白紙委任」と語る人もいれば、強行採決も繰り返されました。多数決による決定は、議論を尽くして論点を出し合い、課題点が出尽くしたところでの、ぎりぎりの選択であらねばなりません。そうでなければ、多数派が常に少数派を切り捨て物事が進むような社会になります。議論に時間をかけ、理性的に考え尽くそうとするのが本来、民主主義が持つ知恵だと思うのです。

 これらが充分にふまえられていないと、国民投票は両刃の剣になります。「過半数の国民が支持したのだから」という結果を担保に、数々ある問題課題が顧みられず、一気に歴史の舵が切られてしまいます。

 折しも今年は統一地方選の年です。私たちはしっかり、国政、県政、市政の行く末を考える時間をさきたいところです。子ども、孫の世代が生きる社会の土壌を占うのが私たちの投票行動です。一票に気持ちを込めて投げかけ、新たな有権者世代に手本をみせる。それにまさる選挙教育はないでしょう。(髙垣)

(ニュース和歌山2015年2月14日号掲載)