濱口梧陵、南方熊楠、徳川吉宗…。和歌山には〝偉人〟と呼ばれる人が他にもたくさんいます。その中から、今回はすご~い6人を紹介します。

 写真やイメージ画は、①和歌山県庁文化学術課、②女子栄養大学、③神戸映画資料館、④小山肆成顕彰会、⑤ヤマハ、⑥中村統太郎さんにお借りしました。

 

①ビタミンA取り出す 髙橋 克己 1892年 和歌山市生まれ

 ビタミンAは、目や皮ふを健康に保ち、成長を促す栄養素です。

 東京の理化学研究所で「脂肪の栄養」を調べていました。タラの肝臓にビタミンがあると知られ、世界中の研究者が栄養素だけを取り出そうと頑張っていた1922年、初めて成功します。30歳の時でした。

 目の病気や、当時は不治の病だった肺結核に効果があると言われ、苦しむ人たちを救いました。

 

 

 

 

②計量スプーン発明 香川 綾 1899年 田辺市生まれ

 14歳の時、母親が急性肺炎で亡くなり、医者になろうと決意します。

 大学では、ビタミンB1が足りなくて起こる脚気という病気を治す方法について研究。胚芽米にこの栄養素が入っていることを広く伝え、病気の予防に役立てました。

 食べ物の力で病気を防ごうと1933年、家庭食養研究会(現在の女子栄養大学)をつくりました。その後、計量スプーンや計量カップを発明、だれでも同じように料理が作れるようにしました。

 

 

 

③日本初 アニメ制作 北山 清太郎 1888年 和歌山市生まれ

 日本で初めてアニメができたのは1917年です。これを作った3人の一人です。

 元々、水彩画や洋画を描き、雑誌を作っていました。29歳の時に海外のアニメを見て驚き、これを仕事にしようと考えました。少しずつポーズの違う絵を描いて1コマずつ撮影。最初にできたのは、童話の『猿蟹合戦』です。

 その後、会社を立ち上げ、『カチカチ山』『桃太郎』、ポンプや植物の仕組みを説明する教材用アニメも作りました。

 

 

 

 

④予防ワクチン開発 小山 肆成 1807年 白浜町生まれ

 京都で医者をしていた30歳の時、熊野地方で天然痘というウイルス性の病気が流行。多くの人が亡くなり、これを救いたいと考えました。

 ある時、牛の乳を搾っている女性は感染しないと聞きました。そこで家宝の刀を売ったお金で子牛を買い、これにウイルスに感染させました。この後、弱くなったウイルスを取り出して、それを人に接種する方法を考えました。

 こうして、1849年に完成したのが予防ワクチンです。

 

 

 

⑤オルガン製作 山葉 寅楠 1851年 和歌山市生まれ

 静岡県で西洋の医療機器と時計を修理する仕事をしていました。

 35歳の時、故障した海外製オルガンの修理を頼まれ、自分にも作れると、オルガン製造を始めました。できたオルガンを担ぎ、歩いて山を越え、東京まで運んだとの話が残っています。正しい音に調整できていなかったため、音楽を勉強した後に完成させました。1900年にはピアノ製作も始めました。

 なお、1887年につくった会社、日本楽器製造は現在のヤマハです。

 

 

 

 

⑥日本にサッカー広める 中村 覚之助 1878年 那智勝浦町生まれ

 1900年、東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学。4年生の時、イギリスの本を元に、『アッソシェーションフットボール』という日本語の本を出し、大学に「ア式蹴球部」をつくりました。「ア式蹴球」はサッカーのことで、日本で初めてのサッカーチームと言われています。

 1904年に横浜の外国人クラブと試合をしたことが新聞に載ったのをきっかけに、全国の中学校から教えてほしいとの依頼が届き、サッカーが広がっていきました。

 

 

 

 

(ニュース和歌山/2023年1月3日更新)