地誌書『紀伊続風土記』に「楸(ひさぎ)の生えたる地を墾して後村となるへし」とある。楸から久木村になったという。

 久木村を抜ける街道に庄川越(しゃがわごえ)という険しい峠道があり、大正時代、県内有数の養蚕の盛んな村へと発展を遂げ、連日、繭かごを背負った村人が往来した。そのため、繭街道と呼ばれた。

 明治8(1875)年に掘られた全長2㍍の短い隧(ずい)道がある。そのトンネルを抜けると、繭街道沿いに続くのが鍋津呂小谷だ。見上げるばかりの巨大な切り通しの道を行くと、水の落ちる音が聞こえてくる。折れ曲がって2段に落ちる滝は珍しく、印象深い。大きな繭かごを背負った人々が、この滝にしばしの涼を求めたのだろう。

(ニュース和歌山/2018年5月12日更新)

大上敬史さん作製「和歌山県の滝」で、県内の滝が紹介されています。