「『ザーッ』というすごい音で目が覚めました」。65年前の紀州大水害時、現在の岩出市高瀬で暮らしていた岩鶴敏治さん(83、紀の川市上田井。写真左)はこう振り返る。紀の川の支流、根来川の水があふれ、自宅周辺が水に浸かった。「根来川の川底はこの地区より高い。こうした土地の歴史や地形を日ごろから知っておくことが大切」と力を込める。
昭和28年水害経験者 岩鶴敏治さんに聞く
1953年7月に和歌山を襲った大水害は、紀の川流域にも被害をもたらした。今より少し上流にあり、木造だった岩出橋は流され、増水した紀の川に合流できない支流では、周辺で浸水被害が相次いだ。
岩鶴さんは当時、國學院大學1年。夏休みを利用し、病気の父を世話するため帰省していた。17日から18日にかけての雨で根来川の水が堤防を越え、岩鶴さんの自宅近くにあった岩出町役場や大宮神社に流れ込んだ。「ザーッ」という音は、役場から駅へと向かう道に水がぶつかる音だった。「初めて聞く大きな音でした。家の外へ飛び出すと辺り一帯が湖のようになっていて、大変なことが起きたと思いました」
田んぼの真ん中を通る道は、水を一時的にせき止めたが間もなく流れに飲み込まれた。その際、紀の川でまだ現役だった渡し船や漁船が活躍。対岸とロープで結び、それを伝いながら船で渡った。この様子を岩鶴さんは買いたてのカメラで記録した。「子どものころからこの周辺は土地が低く、水はけが悪かったため『沼地』と呼ばれていました」。現在は「先人に学ぶことはまだまだある」と地域の歴史研究に情熱を注いでいる。
写真=道が流され、川舟が重宝された(岩鶴さん撮影)
(ニュース和歌山/2018年8月11日更新)